ローマ皇帝
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^ 西洋古代史家田中創は、「アウグストゥスのゆくえ―ローマ帝国統治の模索」#佐川2023で次のように述べている「八一二年頃から"ローマ人たちの王"というギリシア語銘の入った貨幣がコンスタンティノポリスのローマ皇帝によって発行されるようになったことが指摘されている。この変化は、西に新しい帝権が登場したという政治的現実を前にして、支配理念を新たに表現する必要から生じたものと推測されるのである。単なる"王"ではなく、"ローマ人たちの"王であると敢えて説明的に喧伝しなければならなかったことは、ローマ世界の普遍性が自明のものではなくなった時代の変化を象徴的に示している」(p160)とし、更に註47において「"ローマ人たちの王"という表現自体は既に七世紀頃から広く用いられていた。本稿では貨幣が外交上重要なプロパガンダ媒体であったこと、形式面で保守的な媒体である貨幣上でもこの時期に変化が起きたということを重視している」(p165)と述べている
^ 最初にポンティフェクス・マクシムスに就いたローマ司教としてはレオ1世の他にダマスス1世シリキウスとする説もある[44]
^ より正確には、紀元前23年より、1年限りの護民官職権が毎年付与された[20]
^ タキトゥスは軍事力によって皇帝が定まるのが「帝権の秘密(imperii arcano)」(『同時代史』1巻4章2節)だと記載しており、この点は現代の学者も受け入れている。南川高志は「イタリアの外で皇帝に擁立された者は、首都で元老院の承認を得、民衆の歓呼を受けることを目指したけれども、それをしなければ皇帝ではないという観念があったとは思われず」と記載している(#笠谷2005所収「ローマ皇帝権力の本質と変容」p216
^ 島田誠は、オクタウィアヌスの後継者選定では皇帝家(ドムス・アウグスティー)集団が大きな影響を持ったと論じている(島田誠「ティベリウス政権の成立とその性格」2001年)
^ 例えばマルクス帝は、ピウス帝の養子となり皇帝家の一員となった後、それぞれの職務に時をあけて就任している(『ローマ皇帝群像I』哲学者マルクス・アントニヌスの生涯6節
^ コンモドゥス帝暗殺後やカラカラ帝暗殺後の混乱期等
^ この仕組みはビザンツ帝国末期まで続き、皇位継承法はビザンツ帝国の滅亡まで成立せずに終わった
^ なお、南川は「ローマ皇帝権力の本質と変容」(#笠谷2005p218)において1980年代のファーガス・ミラーの研究以降、「すべてをパトロネジに還元して説明することができなくなり」「ローマ皇帝を「最高にして最大のパトロン」と定義することも再考を要するようになった」としている
^ ただし、大清水裕『ディオクレティアヌスと専制君主政』『歴史と地理―世界史の研究』242、2015年p61には「ディオクレティアヌスに始まる「専制君主政」という見方は、古代末期研究の進展とともに大きく見直しを迫られている」とし、この文言を引用した南雲泰輔は「2010年や2012年の主張から後退しているように見える」とコメントしている(南雲泰輔『ローマ帝国の東西分裂』2016年岩波書店、註p47,註(5))
^ 法律では、アウグストゥスとティベリウスと同様の権限を有する、と記載されている。アウグストゥスとティベリウスが法律に拘束されなかったのかが事実かどうかはともかく、ウェスパシアヌスの時代にはそのように思われていたということが、この法律から確認されるわけである。法律全文の日本語訳は#古山2002所収

出典^ フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌6 新約時代編[XVIII][XIX][XX]』株式会社筑摩書房、2000年、ISBN 4-480-08536-X、P23・80・186
^ a b 弓削2010、pp.150-151。
^ [皇帝]黒田日出男 編『歴史学事典〈第12巻〉王と国家』弘文堂、2005年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784335210433。 
^ a b c d ルル2012、p.30
^ a b c ルル2012、p.38。
^ a b ルル2012、p.31。
^ ルル2012、p.33。
^ ル・ル2012、pp.39-40。
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