ローマ皇帝
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元老院は政権を個人の手から市民へと返却した彼の判断を称え、オクタウィアヌスに「アウグストゥス(尊厳なる者)」の添え名[13]、一部の属州に対するプロコンスル命令権とを与えた[14][注 4]。とはいえ「アウグストゥス」の添え名は何らかの権限や特典をともなうものではなかったし、プロコンスル命令権にしても元老院によって割り当てられた属州においてだけ行使できる局所的な軍事命令権にすぎなかった[15]。しかもプロコンスル命令権はオクタウィアヌスがローマ市を出て初めて有効となる性質のもので、オクタウィアヌスが首都ローマにいる間には命令権を行使することすらできなかった[15]。そのため、オクタウィアヌスの実質的な権限は紀元前31年より務めている執政官の職権に拠っていた[14]

紀元前24年、オクタウィアヌスは属州総督が起こした不祥事について執政官としての責任を問われ、元老院より法廷への出頭を命じられた[16]。オクタウィアヌスは法廷において反対弁論を行い有罪判決を免れることには成功したが、オクタウィアヌスの同僚には有罪判決が下され、そのまま処刑されてしまった[16]。これによって執政官という最も責任ある役職にとどまり続けることの危険性が明らかとなった[16]。古代ローマにおいて公的権力を振るう公職者は、その権力に相応しい責任を果たさなければならなかったからである。オクタウィアヌスは執政官としての権限と責任とを天秤にかけ、執政官の職を手放すこととした[17]

紀元前23年、オクタウィアヌスは元老院と交渉を行い、執政官の職を返却する見返りとして自身への護民官職権の付与[注 5]を認めさせ、また紀元前27年に与えられていたプロコンスル命令権を拡大させた[18]。これによりオクタウィアヌスのプロコンスル命令権はプロコンスル上級命令権となり、全属州において他のプロコンスル命令権よりも優先される命令権となった[18]。また護民官職権の付与によってオクタウィアヌスは、実際に護民官に就任して護民官としての責任を負うことなく、護民官の有する請願者救済権、神聖不可侵権、元老院への出席権などを行使することができるようになった[19]。オクタウィアヌスは護民官職権を極めて重視し[20]、自身の治世を護民官職権が与えられた紀元前23年から数えている[20]

しかし護民官職権にせよプロコンスル上級命令権にせよ、最高官職である執政官を辞任したことによってできた権力の空白を十分に埋めることはできなかった[21]。プロコンスル上級命令権はプロコンスル命令権と同様にイタリア本土に対しては無効とされていたし[22]、護民官職権も権限はローマ市内とローマ市から1マイルまでの範囲内に限られていた[21]。現実問題として紀元前23年の時点では、オクタウィアヌスには実際的な政治的権限が不足していたのである[21]。実際、オクタウィアヌスは重要な政治的行動の多くを、護民官職権によってではなく現職の執政官への助言や請願を通して行っている[23]

しかし、天運がオクタウィアヌスに味方することになった。紀元前22年にイタリアにおいて疫病災害が発生し、人々はこれらの天変地異をオクタウィアヌスの執政官辞任に対する神々の意思と関連付けた[24]。ローマ市民はオクタウィアヌスに執政官就任を要望したが、これまでの経緯からオクタウィアヌスは執政官への就任を固辞した[24]。そして紀元前19年にローマ市民とオクタウィアヌスとの間で妥協が図られ、オクタウィアヌスには執政官に就任することなく行使できる執政官職権が付与されることとなった[24]。これ以降、執政官職権と護民官職権とがイタリア本土におけるオクタウィアヌスの法的権限となった[25]。ここに至ってついに、オクタウィアヌスによる一人支配体制(モナルキア)は、その決定的状態に達したのである。

その後、オクタウィアヌスは、紀元前12年にレピドゥスの後任としてポンティフェクス・マクシムスに就任し[4][26]、自身を国家の宗教に関する意思決定の中心に位置づけた[4][26]紀元前2年には長年の国家への貢献が賞され、元老院より国父(英語版)の称号が贈られた[27]紀元後14年にオクタウィアヌスが南イタリアの町ノラで病没すると、元老院議員ヌメリウス・アッティクスが「彼が天に昇るのを見た」と証言し、この証言にもとづいてオクタウィアヌスを神格化することが元老院で議決された[26]

オクタウィアヌスの遺言により、オクタウィアヌスが残した遺産の3分の2は後妻リウィア・ドルシッラの連れ子ティベリウスへと相続された[28]


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