ローマ帝国
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したがって、現代人的認識では西方正帝の消滅後にローマ帝国とは別のゲルマン系諸王国が誕生したかのように見える西欧の地も、同時代人の認識としては依然として「ローマ帝国」を国号とする西ローマ帝国のままであり、住民達も自分たちのことを単に「ローマ人」と呼び続けていた[12]。しかし、フランク王国がカロリング朝の時代を迎え、800年にカールが教皇レオ3世によりローマ皇帝に戴冠されたことで、ローマ総大司教管轄下のキリスト教会ともども、東の皇帝の宗主権下から名実ともに離脱し、ローマ帝国は東西に分裂した。ここに後世神聖ローマ帝国と呼ばれる政体に結実するローマ皇帝と帝権が誕生し、1806年ライン同盟結成まで継続した。

東ローマ帝国を征服し、滅ぼしたオスマン帝国の君主(スルターン)であるメフメト2世およびスレイマン1世は、自らを東ローマ皇帝の継承者として振る舞い、「ルーム・カエサリ」(トルコ語でローマ皇帝)と名乗った。もともと東ローマ帝国においては帝国を征服した辺境の異民族が帝国そのものとなったり帝位簒奪者が定着することは幾度となく繰り返されてきた歴史でもあり、このことについて吉村忠典は「第三のローマとしては、モスクワよりイスタンブールの方が本家のように思える[13]」とする感想を述べている。ただしバヤズィト2世のように異教徒の文化をオスマン帝国へ導入することを嫌悪する皇帝もおり、オスマン皇帝がローマ皇帝の継承者を自称するのは、一時の事に終わった。

その他にも、ロシア帝国ロシア・ツァーリ国)はローマ帝国とギリシア帝国[注釈 4]に続く第三のローマ帝国としてローマ帝国の後継者を称した。ただし、君主はロシア皇帝を自称するも、当初は国内向けの称号に留まり、対外的には単なる「モスクワ国大公」として扱われている。その後、国際的に皇帝として認められるようになるが、ローマ皇帝の継承者としての皇帝という意味合いは忘れ去られていた。

現在では公式にローマ帝国の継承国家であることを主張する国家は存在しないが、ルーマニアの国名は「ローマ人の国」という意味である。そのルーマニア国歌「目覚めよ、ルーマニア人!」とイタリア国歌「マメーリの賛歌」の歌詞には、自国民とローマ帝国との連続性を主張する部分がある他、それぞれトラヤヌススキピオの名(正確には、スキピオは家名)が歌詞に入っている。
歴代皇帝「ローマ皇帝一覧」を参照
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 僭称者とされる皇帝も含めるとその数は更に増える。
^ 例えばエドワード・ギボンローマ帝国衰亡史』。
^ カール大帝の代に分裂した東ローマ帝国の帝権の後継者を自任する神聖ローマ帝国1806年まで存在していたが、帝国解散の宣言は「ドイツ皇帝」の名義でなされている。
^ 当時のロシアで東ローマ帝国を指す名称

出典^ a b c d Rein Taagepera (1979). ⇒“Size and Duration of Empires: Growth-Decline Curves, 600 B.C. to 600 A.D.”. Social Science History 3 (3/4): 125. doi:10.2307/1170959. ⇒http://links.jstor.org/sici?sici=0145-5532%281979%293%3A3%2F4%3C115%3ASADOEG%3E2.0.CO%3B2-H
^ John D. Durand, Historical Estimates of World Population: An Evaluation, 1977, pp. 253-296.
^ John D. Durand, Historical Estimates of World Population: An Evaluation, 1977, pp. 253?296.
^ 吉村2003, pp53-58
^ 吉村2003, pp55-56
^ “「ブルータス」カエサル暗殺後敗北者となった理由”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2012年1月20日). 2020年10月7日閲覧。
^ 三訂版, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典. “プトレマイオス朝とは”. コトバンク. 2020年10月8日閲覧。
^ 三訂版,世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社世界史事典. “アウグストゥスとは”. コトバンク. 2020年10月8日閲覧。
^ 小項目事典,日本大百科全書(ニッポニカ), ブリタニカ国際大百科事典. “パックス・ロマーナとは”. コトバンク. 2020年10月7日閲覧。
^ アルベルト・アンジェラ著 ローマ帝国1万5千キロの旅 p.493 ISBN 978-4-309-22589-0
^ 菊池 2002, pp. 32-33.
^ a b ミシェル・ソ、ジャン=パトリス・ブデ、アニータ・ゲロ=ジャラベール『中世フランスの文化』 桐村泰次訳、諭創社、2016年3月
^ 吉村2003, p35

参考文献

菊池良生『傭兵の二千年史』講談社講談社現代新書 1587〉、2002年1月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-06-149587-6。 

樺山紘一『岩波講座 世界歴史 第5巻 帝国と支配」』岩波書店、1998年。ISBN 9784000108256。 

吉村忠典『古代ローマ帝国の研究』岩波書店、2003年。ISBN 9784000228329。 

関連文献

青柳正規 『皇帝たちの都ローマ 都市に刻まれた権力者像』 中央公論新社中公新書 1100〉、1992年10月。ISBN 978-4-12-101100-8

ギボン『ローマ帝国衰亡史』 全11巻および第11巻別冊、中野好夫ほか訳、筑摩書房、1976年11月-1993年9月、NCID BN00312086。

のちちくま学芸文庫に全10巻で収録。1995年12月-1996年9月、NCID BN13688244。


本村凌二 『地中海世界とローマ帝国』 講談社〈興亡の世界史 04〉、2007年8月、ISBN 978-4-06-280704-3


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