ローハン
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谷地の北では、雪白川とエント川に沿って東マークと西マークの境界が引かれている。それ以外のローハンの人口のほとんどは、谷地の両側にあたる白の山脈のふもとに広がって居住する。西マークでは、西谷(ウェストフォルド)が山脈に沿ってヘルム峡谷(西マークの防衛拠点)とローハン谷まで続く。ローハン谷を越えた先は西境であり、王国の最西部の国境地帯である[T 8]。東谷は白の山脈に沿った反対方向、東マークに広がっている。その境界は北方ではエント川、東方国境地帯は沼地(フェンマーチ)と呼ばれ、その向こうはゴンドールの領土であった。[T 10]

ローハンの中央部は、エント川によって東エムネト(イーストエムネト)と西エムネト(ウェストエムネト)とに分かたれた広大な草原である[T 3]。これらの地域はそれぞれ東マークと西マークに含まれる。ローハンの領域の最北部にしてもっとも人口希薄な地域は高地(ウォルド)である。さらに北方にあたるケレブラントの野は、指輪戦争ののちにローハンに加えられた[T 9]
文化
民族アフィントンの白馬」。トールキン研究者トム・シッピーによれば、エオル王家の象徴「緑地に白い馬」の由来となった[7]

ゴンドールドゥーネダインとロヒアリムとは、先祖を同じくする遠い縁戚である。しかし啓蒙され高度に文明化された存在として描写されているゴンドール国人とは異なり、ロヒアリムは啓蒙の程度は低いように描かれている。[3]

ローハン文化の名前と詳細は、ゲルマン文化、特にトールキンがよく親しんだアングロ・サクソン人と古英語に由来する。アングロ・サクソン時代のイングランドはヘースティングズの戦いノルマン人の騎兵隊に敗れたが、いくらかのトールキン研究者は、ロヒアリムは「馬乗りの文化」を持ち侵攻を撃退できたアングロ・サクソン社会というトールキンの理想を具現化したものではないかと推測する[8]。トールキン研究者トム・シッピーは、トールキンはイングランドの草原に白亜で刻まれた「アフィントンの白馬」からエオル王家の象徴である「緑地に白い馬」を生み出したと注釈している[7]トールキンによれば、バイユーのタペストリーの様式はロヒアリムに「充分に」合致している[T 11]

トールキンは、ロヒアリムの文化と言語をアングロ・サクソン人のそれに似せつつも、その祖先にはゴート人の要素を与えた。ロヴァニオン王家(ロヒアリムの先祖)の名前には、ヴィドゥガヴィア、ヴィドゥマヴィ、ヴィニサールヤといった、ゴート人に原型を持つものが含まれている。特にヴィドゥガヴィアは、536年から540年まで東ゴート王だったウィティギスの名の類義語である[3]。これについてトールキンは、現実世界における古英語とゴート語の関係に相似させたものだと語っている[4]

中つ国の服飾についての読者の質問に対し、トールキンはこう答えている。ロヒアリムは、我々が思うところの「中世風」ではなかった。「バイユーのタペストリー」(イングランド由来)の様式は、兵士たちが身につけるテニスネットのようなものが小さな輪からなる鎖かたびらの不器用な慣習的記号でしかないことを思い起こすならば、充分に適合している。[T 11]
馬と軍事アングロ・サクソン人の武器と鎖かたびら

ローハン軍は、騎乗兵が多くを占めていた。基本的な作戦単位は古英語で「騎兵部隊」を意味する[9]エオレドであり、指輪戦争の当時には形式上120騎で構成されていた[T 3]

戦時には、義務を果たしうるすべての男子がローハンの召集軍に加わった。ローハンは、ゴンドールが危機に瀕した際には救援に赴く、というエオルの誓いに忠実であり、ゴンドールは赤い矢を届けることで支援を要請した。これは古英語詩「エレーネ」に歴史的な由来があるもので、詩の中ではコンスタンティヌス大帝フンと戦うにあたり、矢を「戦のしるし」として送ることで西ゴート族の騎馬軍を召しだしている[3]。またゴンドールは、ミナス・ティリスから白の山脈に沿ってローハン国境まで、アモン・ディン(アモン・ディーン)、アイレナッハ(エイレナハ)、ナルドル、エレラス、ミン=リンモン、カレンハド、ハリフィリアン(ハリフィリエン)の7箇所の烽火台を連ねて非常を知らせるゴンドールの烽火を灯し、ロヒアリムを呼びだすこともできた[T 12]ゴンドールとローハンのあいだで使われたような烽火台は、かつてイングランドで使われていた。写真はレスターシャーにあるビーコンヒル。

指輪戦争が始まったころ、完全な召集軍は12000騎以上の騎士から成り立っていた[T 3]。ロヒアリムのの中には、いまだかつてアルダを逍遥したなかでもっとも高貴で迅速な馬の一族、高名なメアラスもいた。国民の呼び名それ自体も、戦時平時を問わず馬と緊密な関係を持っていたためにつけられたものである。Rohirrim(より正しくはRochirrim)とは「馬の司」を意味するシンダリンであり、Rohan(あるいはRochand)は「馬の司の国」を意味した[T 9]
言語

トールキンは基本的に彼らの言語を「ローハンのことば(the language of Rohan)」あるいは「ロヒアリムのことば(the language of the Rohirrim)」と呼んだ。形容詞的には「ローハン語」すなわち英語でRohirricが一般的であるが、トールキンはいちどRohaneseを用いたこともある[T 12]


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