1930年代の初期の作品では男女のカップルが多かったが[4][6]、第二次大戦後は男性二人組が主流になり、女性が登場しても短時間の道連れが多かった。まれに「テルマ&ルイーズ」(1991)のように女性二人が主役の作品もある[9]。「バニシング・ポイント」(1971)は男ひとりであった。 1990 年以降はドライバーの多様性が増した。「プリシラ」(1994)はオーストラリアの砂漠を旅するドラァグクイーンのグループを描いている[9]。 HIV 陽性 のゲイ男性 2 人による『リビング・エンド』(1992)、3人のドラァグクイーンによる「3人のエンジェル」(1996) 、アメリカ先住民2人による「スモーク・シグナルズ」(1998)、大人数による「ゲット・オン・ザ・バス」(1996)などがリリースされた。 ロードムービーというジャンルは曖昧でわかりにくい[7]。ティモシー・コリガンは、どうしてもいろんな作品が入ってきて、他のジャンルと重なってしまう傾向があると言う[12]。 デヴィン・オージェロンは、文字通り解釈すれば自動車旅行であるが、映画の歴史、映像文化そのものであり、古典的なハリウッド映画のジャンルのミックスであると言う[12]。 ロードムービーには、ロードホラー(例:「ニア・ダーク/月夜の出来事」(1988))、ロードコメディ(例:「アメリカの災難」(1996))、ロードレース映画(例:「デス・レース2000年」(1975))およびロックコンサートツアー映画(例:「あの頃ペニー・レインと」(2001))などの多くのサブジャンルがある[8]。フィルム・ノワール・ロードムービーには、ヒッチハイクにまつわる恐怖とサスペンスを描いた「恐怖のまわり道」(1945)、「Desparate」(1947)、「ヒッチ・ハイカー」(1953)や、アウトローをテーマにした「夜の人々」(1948)や「拳銃魔」(1952)などがある[8]。 フィルムノワールの影響を受けたネオノワール時代のロードムービーとして、「ヒッチャー」(1986)、「Delusion」(1991)、「レッドロック/裏切りの銃弾」(1993)、「ロードキラー」(2001)などがある[8]。 ロードムービーは重要で人気のあるジャンルであるにもかかわらず、映画史上では見過ごされている[5]。 映画の主要なジャンルとして扱われないことが多く、「ロードムービーの基準を満たす条件」についてはほとんど検討されていない[13]。 ロードムービーのルーツはオデュッセイア[5]やアエネーイスといった古代の叙事詩にある。現代の脚本家もロードムービーを好む。ドイツの教養小説のように、旅で経験したことを糧として、ヒーローが成長していく。重要なのは目的地ではなく、過程である。デヴィッド・レイダーマンはロードムービーに影響を与えた文学として、旅をしながら世の中を風刺した「ドン・キホーテ」(1615)、ミシシッピ川の川下りが社会批評となっている「ハックルベリー・フィンの冒険」(1885)、コンゴ川を遡行しながら悪徳商人をさがす「闇の奥」(1902)、旅を通じて近代社会を批判した「恋する女たち (D・H・ローレンス)」(1920)などをあげた。古い価値観に反抗してカップルがあてもない放浪の旅に出る「恋する女たち」のストーリーは今日のロードムービーに通じる[5]。
ジャンルと制作要素
歴史