「アウトロー」ロードムービーには、歴史上三つの時代がある。第二次世界大戦後のフィルム・ノワールの時代(例:「恐怖のまわり道」)、ベトナム戦争に揺れた1960年代後半(「イージー・ライダー」、「俺たちに明日はない」)、そしてレーガン後の1990年代、「湾岸戦争の英雄が見直された」時代(「マイ・プライベート・アイダホ」、「テルマ&ルイーズ」、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」)である[27] 。1970年代には「愛に向って走れ」のような逃亡を描いた低予算のアウトロー映画が作られた[28]。1980年代には「トランザム7000」や「キャノンボール」がヒットした[28] 。1990年代になるとポストモダニストによるアウトロー・カップル映画が再び作られるようになった(「ワイルド・アット・ハート」、「カリフォルニア」、「トゥルー・ロマンス」)[29]。
初期のロードムービーは新しい領土の発見や国土の拡大を描いたもので、そのメッセージは古典的な西部劇と共通していた。エドガー・G・ウルマーのフィルム・ノワール映画「恐怖のまわり道」でニューヨークからハリウッドへ向かうミュージシャンが見たのは、物質主義に堕した国の姿であった。デニス・ホッパーの「イージー・ライダー」が描いたのは、1960年代後半、すっかり変わってしまったアメリカ社会であった。このように、ロードムービーは国家のアイデンティティが変化するさまを描写した[1]。 ニュー・ハリウッド時代、ロードムービーの制作には、「高速フィルムストック」や「軽量カメラ」といった新しい技術が使われるとともに、「物語の省略(英語版)、自己言及、大胆な移動撮影とモンタージュ・シーケンス」といったヨーロッパ映画の製作技法も取り入れた[5]。
ロードムービーというジャンルは第二次大戦後に生まれたことになっている。男性を中心とした伝統的な家族の形が失われた戦後の世界が背景にあること、主人公の生き方をかえてしまうような衝撃的な出来事が移動中におこることに重きがおかれること、クルマやバイクがオーナーの「分身」とみなされ、主人公との関係性が重視されること、登場人物はたいてい男性で、女性は排除され、「テクノロジーと結びついた男性の逃避願望」が描かれていること、などがその根拠である[13] 。にもかかわらず、コーハンとハークはロードムービーは1930年代からあると主張する[30]。
2000年代はロードムービーの良作に恵まれた。ヴィンセント・ギャロの「ブラウン・バニー」(2003)、アレクサンダー・ペインの「サイドウェイ」(2004)、ジム・ジャームッシュの「ブロークン・フラワーズ」(2005)、ケリー・ライカートの「オールド・ジョイ」(2006)などである。ロードムービーというジャンルが注目され[31]、英国映画協会は「面白い作品がまだあるはず」と2000年以降の10作品をハイライトした[32]。同協会のトップテンはアンドレア・アーノルドが素人を集めて作った「アメリカン・ハニー」[33](2016)、十代の若者が旅をするアルフォンソ・キュアロンの「天国の口、終りの楽園。」(2001)、良くも悪くもフェラチオシーンで有名な「ブラウン・バニー」(2003)、チェ・ゲバラのバイク旅行を描いたウォルター・サレスの「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004)、マーク・デュプラスとジェイ・デュプラスによるはじめてのマンブルコア・ロードムービー「The puffy chair」(2005)、「ブロークン・フラワーズ」(2005)、フォルクスワーゲンT2マイクロバスでの家族旅行を描いたジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリスの「リトル・ミス・サンシャイン」(2006)、父と息子が旅に出るアレクサンダー・ペイン「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」(2013)、旅行中にやっかいな電話を受けてしまう建設会社の現場監督を描いたスティーヴン・ナイトの「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」(2013)、奇妙な乗客を運ぶタクシー運転手を描いたジャファール・パナヒ「人生タクシー」[34](2015)である[32]。