1997年半ば[16]、ジャクソンとウォルシュはスティーヴン・シンクレア(英語版)と共に脚本執筆を開始した[15]。シンクレアのパートナーのフィリッパ・ボウエンは原作のファンであり、彼らのトリートメントを読んだ後に脚本チームに参加した[16]。2本の映画の脚本を執筆するのに13から14ヶ月を要し[16]、それぞれ147ページと144ページである。シンクレアは劇場の世話のためにプロジェクトを去った。この時期の改訂版では原作のようにサムが盗み聞きをして旅に同行するのではなく、サム、メリー、ピピンは指輪について考えた末旅立つなどの変更が存在した[15]。
マーティ・カッツ(英語版)がニュージーランドへ行ったときに問題が発生した。彼はそこで4ヶ月過ごし、ミラマックスに製作費は1億5000万ドルに及ぶことを告げ、2本の映画を1本にすることを決定した。1998年6月17日、ボブ・ワインスタインは2時間映画1本分に短縮したトリートメントを発表した。彼はブリー村と角笛城の合戦のカットや一部キャラクターの削除、統合を提案した[15]。「良いものの大半を取り除いた」このアイデアに動転した[16]ジャクソンは尻込みし、ミラマックスはウェタ・ワークショップ(英語版)で完成した脚本や仕事は彼らのものだと宣言した[15]。ジャクソンは4週間にわたってハリウッドを周り[16]、35分間のビデオを見せ、そしてニュー・ライン・シネマのマーク・オーデスキーと出会った[17]。ニュー・ライン・シネマのロバート・シェイはビデオを見て、ジャクソンたちは全3巻の原作をなぜ2本の映画にしようとするのか疑問に思った。彼は三部作として製作することを望んでいた。すぐにジャクソン、ウォルシュ、ボウエンは新しい3つの脚本を書かねばならなかった[16]。
ジャクソンらは脚本の再構築に追われたものの、3本の映画に拡大されたことで創造的な自由も大きくなった。ジャクソンはトールキンの物語に、より編年的なアプローチを取り入れた。フロドの冒険が主要なフォーカス、アラゴルンが主要なサブ・プロットであり[18]、それら2つに直接関わりのない多くの場面(トム・ボンバディルなど)が除外された。書き直し中、アルウェンを戦士兼王女とする計画があったが、結局原作と同様の活躍に戻された[19]。ガンダルフ役は初めショーン・コネリーにオファーしたが、出演を固辞したため、イアン・マッケランにより撮影されることとなった[20]。
三部作の戦闘や剣技シーンの開発は、元フェンシング選手でありダース・ベイダーのアクションシーンを担当したボブ・アンダーソンに依頼された。アンダーソンはヴィゴ・モーテンセンやカール・アーバンらの直接指導も担当した[21]。これらの指導シーンはドキュメンタリー映画『Reclaiming the Blade』で見ることが出来る[22]。
プロダクションデザインアラン・リー(2005年8月)詳細は「en:Production design of The Lord of the Rings film series」を参照