ロンバルディア州
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ロンバルディア平野は沖積平野で、さらに Alta (高い土地)と Bassa (低い土地)に分けられる。平野北側の Alta は標高がより高く、水が浸透して地下水となる土地であり、南側の Bassa は標高が低く、地下水が地上に現れる湧水線によって特徴づけられる。

上記の山岳・丘陵・平野部の三地域のほか、州南西部(パヴィーア県南部)ポー川の南にオルトレポー・パヴェーゼ (Oltrepo Pavese) と呼ばれる地域がある。この地域はアペニン山脈に連なる小規模な山地によって特徴づけられている。

州内を流れる多くの川は、ポー川の支流であり、平野部を潤している。主要な川としては、北西から南東へ順に、ティチーノ川(マッジョーレ湖から流出する川)、オローナ川 (Olona) 、ランブロ川 (Lambro) 、アッダ川(コモ湖から流出する川)、ミンチョ川(ガルダ湖から流出する川)、オーリオ川(イゼーオ湖から流出する川)が挙げられる。灌漑を目的として、広い範囲に水路のネットワークが張り巡らされている。
気候

この地方は大陸性気候であるが、高山や湖の存在によってバリエーションに富むものとなっている。

大陸性気候が最もはっきりとした形で現れるのは平野部で、一年を通じて気温の変化が大きく(ミラノでは1月の平均気温が1.5℃、7月の平均気温が24℃)、10月から2月にかけては濃霧が現れる。アルプスの麓にある湖は、こうした気温の変化を穏やかなものにしており、地中海の植物(オリーブや柑橘類)の生育を可能にしている。アルプスでは、標高の高い地域(ボルミオ(標高1225m)では1月の平均気温が?1.4℃、7月の平均気温が17.3℃)に比較し、谷底の地域の気候は比較的穏やかである。

降水は、平野部や山岳部(年間降水量 650 ? 800mm)よりも中間のプレアルプスで顕著(年間降水量 1500 ? 2000mm)である。
主要な都市

人口8万人以上のコムーネは以下の通り。人口は2011年1月1日現在[2]

ミラノミラノ県) - 1,324,110人

ブレシアブレシア県) - 193,879人

モンツァモンツァ・エ・ブリアンツァ県) - 122,712人

ベルガモベルガモ県) - 119,551人

コモコモ県) - 85,263人

ブスト・アルシーツィオヴァレーゼ県) - 81,760人

ヴァレーゼ (ヴァレーゼ県) - 81,579人

セスト・サン・ジョヴァンニ (ミラノ県) - 81,130人


ミラノ

ブレシア

モンツァ

ベルガモ

コモ

歴史
古代

古代ローマ時代、ロンバルディアはピエモンテエミリア=ロマーニャと共にガリア・キサルピナ(ローマから見て「アルプスよりこちら側のガリア」の意)と呼ばれていた。メディオラヌム(現在のミラノ)、ティキヌム(パヴィーア)などの都市は、ローマ人以前にさかのぼる起源を有する。紀元前3世紀頃よりローマ人はこの地を征服。ガリア・キサルピナ属州が置かれていたが、紀元前42年頃、オクタヴィアヌス(のちのアウグストゥス帝)によってイタリア本土に編入された。紀元前27年、アウグストゥスによって第11行政区「トランスパダナ」 (it:Regio XI Transpadana) (首府:メディオラヌム)が設置された。
中世・近世モンツァ大聖堂に保管されているロンバルディアの鉄王冠

568年アルボイーノ率いるゲルマン人ランゴバルド族が侵入。パヴィーアを首都としてランゴバルド王国を築いた。「ロンバルディア」の地名はランゴバルド族(ロンバルド人)に由来する。773年フランク王国カール大帝はランゴバルド王国に宣戦を布告し北イタリアに侵入、774年にはパヴィーアが陥落して王国は滅亡した。アルボイーノ以来ランゴバルドの王たちはイタリア王を称しており、カール大帝も「ロンバルディアの鉄王冠」を手中にしてイタリア王に即位した。以後もパヴィーアは「イタリア王国」の首都と考えられ、12世紀頃まで神聖ローマ皇帝はパヴィーアでイタリア王として戴冠する習わしであった。

神聖ローマ皇帝ローマ教皇との対立、神聖ローマ帝国(とくにホーエンシュタウフェン朝)が北イタリアに干渉を図るイタリア政策都市国家コムーネ)の勃興を背景として、12世紀以降は教皇派と皇帝派の紛争が発生。1162年、皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ、またはバーバロサ)により、ミラノも破壊された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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