ロンドン
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

ロンドンでは市街地の大部分がコナベーションにより形成されている[6]

グレーター・ロンドンでは選挙で選出されたロンドン市長ロンドン議会により統治が行われ[7][8]、域内はシティ・オブ・ロンドンと32のロンドン特別区から成る。
概説

[[File:St Paul Cathedral - View from Tate juraganslot Modern Extension.jpg|thumb|200px|left|テート・モダンから見た都心シティ・オブ・ロンドンにあるセント・ポール大聖堂]]ロンドンは最高水準の世界都市として、芸術、商業、教育、娯楽、ファッション、金融、ヘルスケア、メディア、専門サービス、調査開発、観光、交通といった広範囲にわたる分野において強い影響力があり[9]「世界一革新的な都市」と呼ばれることもある[10]。また、ニューヨークと並び世界をリードする金融センターでもあり[11][12][13]、2014年時点の域内総生産は世界第5位で、欧州域内では最大である[14]。世界的な文化の中心でもある[15][16][17][18]。ロンドンは世界でもっとも来訪者の多い都市であり[19]、単一の都市圏としては世界でもっとも航空旅客数が多い[20]。欧州ではもっとも高等教育機関が集積する都市であり、ロンドンには大学が43校ある[21]2012年オリンピック開催にともない、1908年1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催となり、同一都市としては史上最多となる[22]

ロンドンは文化的な多様性があり、300以上の言語が使われている[23]。2011年3月時点のロンドンの公式の人口は817万4,100人であり、欧州の市域人口では最大で[24][25]、イギリス国内の全人口の12.7パーセントを占めている[26]。グレーター・ロンドンの都市的地域は、パリの都市的地域に次いで欧州域内で第2位となる827万8,251人の人口を有し[27]、ロンドンの都市圏の人口は1,200万人[28]から1,400万人[29]に達し、欧州域内では最大である。ロンドンは1831年から1925年にかけて、世界最大の人口を擁する都市であった[30]2012年マスターカードが公表した統計によると、ロンドンは世界でもっとも外国人旅行者が訪れる都市である[31]

イギリスの首都とされているが、他国の多くの首都と同様、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない[32]
地名

「ロンドン」の語源ははっきりとしていない[33]。古代の名称はその典拠が2世紀からのものに見られる。121年にロンディニウムの記録があり、ローマ・ブリトン文化が起源である[33]。最初期の説は今日では軽視されているジェフリー・オブ・モンマスブリタニア列王史である[33]。名称の説の一つにルッドから仮定されるもので、主張によればこの王が街を占領しKaerludと名付けたとしている[34]

1898年以降は「Londinosと呼ばれる男の所有する土地」を意味するケルト語に語源を求めるのが一般的であったが、この説は否定されている[33]。1998年、言語学者のリチャード・コーツ(英語版)は古ケルト語の(p)lowonidaを語源とする説を提示した。(p)lowonidaとは、「渡るには幅が広すぎる川」を意味し、ロンドンを東西に貫通するテムズ川を指すものとして提案されている。ケルト語の形でLowonidonjonとなり、これが集落名になったとした[35]。しかしながら、この説は大きな修正を必要とした。可能性としてウェールズ語の名称が英語から借用されたものに戻り、基礎から元の名称を再構築して使用することが困難であるという可能性も排除できない。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:388 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef