ロンドンオリンピック_(1908年)
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本大会では、ホスト国で世界に君臨していたイギリスと急速に国力を伸ばしていたアメリカがお互いをライバル視し、険悪な関係になった[注釈 1]。こうした状況を危惧したペンシルベニア大司教(アメリカ選手団に随行していた)のエセルバート・タルボット(Ethelbert Talbot)は、「オリンピックにおいて重要なのは勝利することよりむしろ参加したことであろう」と説教で語り、これを知ったクーベルタンはオリンピック精神の表現としてこの言葉を引用するようになった。

初めて国旗を先頭にした入場行進が行なわれるようになった。

ニュージーランドが初参加したが、単独ではなく、同じオセアニアのイギリス自治領で第1回アテネ大会から参加していたオーストラリアとの合同チーム、オーストララシアとしての参加となった。

日本のオリンピック参加は次のストックホルム大会からであるが、日本人の観戦者がいた[2]。記録が残っている中では、相嶋勘次郎(大阪毎日新聞通信部長)、岸清一永井道明の3人が観戦している[4]。相嶋は海外派遣員記者として赴き、同時開催の英仏博覧会を見物したついでにオリンピックを観戦して記事を執筆した[5]。岸は当時イギリスに出張中で、永井は欧米留学中であった[2]。永井は帰国後、大日本体育協会の創立委員となり、委員の中で唯一オリンピックを見た者として活躍した[6]。岸も後に大日本体育協会に関与し、嘉納治五郎に次ぎ2代目の会長となった[7]

非公式競技としてで出来た弾丸を使用する決闘が行われた。

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