ロンドンの特別区
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ミューニシパル・バラおよびアーバン・ディストリクトの当局はより少ない権力しか持っていなかった。この状況はカウンティ・カウンシルが初等教育や図書館運営のような機能をミューニシパル・バラとディストリクト・カウンシルに委譲できたことにより、より複雑化し、各サービスがバラバラに実施されることになった。ロンドン地方政府の改革により、この取り決めを調整しようとした。

グレーター・ロンドンにおける地方政府に関する王立委員会(英語版)が1957年に設立され、1960年10月19日に報告書が公表された。その報告書の中で、10万人から25万人の人口を持つ52の大ロンドン特別区 (Greater London Boroughs) が提案された[1]。これは、その時点で存在していた全ての自治体が入り混じったもので構成され、2つないし3つの地域が合併し、分割の結果、2つの特別区が形成された。1961年12月、政府は52区よりも34区にするよう提案して、それらの境界について詳細に述べた。1962年には、提案された区の数は、さらに32区にまで減らされた。

1965年4月1日、全32区のロンドン特別区とグレーター・ロンドン1963年ロンドン政府法により発足した。旧ロンドン県地域の12区はインナー・ロンドンに、残りの20区はアウター・ロンドンに、それぞれ指定された。アウター・ロンドンの区議会は地方教育当局(英語版)であったが、インナー・ロンドンの区議会は当初、旧ロンドン県の多くの小規模な地元当局は珍しく教育を提供した歴史がないということを指摘した野党および政府に称賛され、インナー・ロンドン教育当局(英語版)を存続させるように指定された。シティ・オブ・ロンドンは継続してシティ・オブ・ロンドン・コーポレーションならびにインナー・テンプルおよびミドル・テンプルにより治められることになった[注釈 1]

第1回選挙は、1964年5月7日に実施(英語版)され、新しいカウンシルは翌年に正式に権限が委譲されるまでの間、影の当局として非公式に行政の運営にあたった。
グレーター・ロンドン・カウンシル

1965年から1986年までの間、ロンドン特別区は二層構造の行政組織の一部であり、グレーター・ロンドン・カウンシル (GLC) と権限を共有していた。権限と機能の分割は、GLCが消防・救急・水害対策・ゴミ処理などの広域サービスを担当する一方で、ロンドン区議会が社会的ケア・図書館・共同墓地・ゴミ収集などの個人向けサービスを担当することを意味した。1986年4月1日にGLCが廃止され、それまでGLCが提供していた、下水処理などの幾つかのサービスに関する権限を区議会が得ることになった。インナー・ロンドン教育当局は臨時の当局として存続したが、1990年に廃止され、インナー・ロンドンの区議会が地元の教育当局となった。
グレーター・ロンドン・オーソリティー

2000年、ロンドン市長ロンドン議会で構成されるグレーター・ロンドン・オーソリティー (GLA) が設立された。戦略的な当局として、GLAは主要な幹線道路計画戦略など、限られた権限のみを区議会から吸収した。
区の一覧


シティ・オブ・ロンドン[注釈 2]

シティ・オブ・ウェストミンスター

ケンジントン・アンド・チェルシー

ハマースミス・アンド・フラム

ワンズワース

ランベス

サザーク

タワーハムレッツ

ハックニー

イズリントン

カムデン

ブレント

イーリング

ハウンズロー

リッチモンド・アポン・テムズ

キングストン・アポン・テムズ

マートン

サットン

クロイドン

ブロムリー

ルイシャム


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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