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女性のタナー段階。乳房のタナー段階がVだけでなく、I-IVの乳房が露出している作品もあった。
ロリータビデオとは、ロリータ・コンプレックス(ロリコン)の対象となる18歳未満の少女を性的に扱ったビデオ作品の総称。ロリビデオ、ロリビと略されて呼ばれることもある。あくまでも総称であり、時制および国や地域のいかんを問わずそれが法律に抵触するかしないかといったこととは無関係であるが、日本においては使用されなくなっており、近年のジュニアアイドルのプロモーションビデオは含まれない。
ヌード作品は成人向けの指定がされているが、イメージビデオでありロリータビデオはアダルトビデオとは異なる。また、少女のイメージビデオが直ちに性的、性描写があるということにはならない。いわゆる少女ヌード写真集と同様、「児童エロチカ」として流通していた作品も「児童ポルノ」として法規制により姿を消してゆくこととなる。 日本初のロリータビデオは、1982年8月の『あゆみ11歳 小さな誘惑』である[1]。ヒロインに懸想する大学生役で出演した青山正明によると、3万円という高額にもかかわらず4000本が即完売したそうである[2]。 また、写真家の清岡純子や力武靖はロリータ写真集の創作活動の流れの中でロリータビデオの制作にも着手していた。これらは当時の法規においては合法の範疇にあり、その時制にあっては児童エロチカであった[3]。 1988年夏、日本ビデオ倫理協会が「ロリータものを審査対象外にする」と通達したため、作品数が激減。少女の性器、いわゆるワレメ(割れ目)の描写は表ビデオ業界から完全に姿を消した[2]。 児童ポルノ法の施行後も「ポルノではない」と称してジュニアアイドルの過激な映像作品はリリースされている。とはいえ2009年には少女に露出度の高い水着を着せたという理由でDVDが摘発されるなど、すべてが規制を免れているわけではない[3]。 『女子大生SEX白書』『洗ケン(洗濯屋ケンちゃん)』『人間狩り』と言った作品が出揃い、裏ビデオ業界が第1次ブームを迎えた1982年末、業界の予想に反する好評を得たおそらく関西製の30分作品『セーラー服とカービン銃』がロリータ裏ビデオの先駆けである[4]。しかしこの作品の女優の推定年齢は16歳 - 17歳とロリータの範疇から外れかけており、むしろ先行する『女子高生身の下相談』『激しく犯して』などの「セーラー服もの」の系譜に連なるものだった[4]。こうした作品群はロリータと称してはいても、学校の制服というモチーフや「少女」という題名が多用される傾向から、高年齢男性層を意識した姿勢が透けて見え、本物のロリコンには不向きだった[5]。 1983年春に『処女の泉』が登場した。「貪欲な関西業者ですら闇市場に流すのをためらった」という触れ込みのこの作品では、13歳の少女と成人男性の性交が描かれている[5]。ここまで明確に犯罪的な内容は看過されるものではなく、製作グループは半年後に検挙されたが、一度開拓された市場は小規模であっても絶えることはなく、『ロリータ雅代 & しのぶ』『老人と少女と性』『インサート12』といった作品が後に続いた[6]。またその後、1983年末の『チェリーキラー』や1984年2月の『南十字性』のように、フィリピンないしその近隣の少女たちを題材とする作品が日本で流通するようになった[6]。 ポルノ女優は実際に性的快感を得るか、あるいは快感を得ているかのように演技することを求められるのに、そのどちらも若年の少女には容易ではないため、ロリータ裏ビデオがポルノ作品として成功するのは至難である[7]。 基本的に女優の年齢は推定するしかないが、『少女の道草』『変な感じ…』は製作者が逮捕されたことで、12歳の少女が出演していたことが報道されており[2]、マニアからは「お墨付き」ロリータ裏ビデオと称されることになった[8]。 ロリータ裏ビデオへの規制は迅速にして厳しいため、1986年ごろから目立った新作はなくなり、散発的なリリースに留まっている[8]。
表ビデオ
裏ビデオ
未成年援交ビデオ(1990年代後半?2000年代半ば)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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