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ロリコン漫画(ロリコンまんが)またはロリコンマンガとは、ロリータ・コンプレックスをテーマとした漫画のこと[1]。
本項では「ロリコン同人誌」「ロリコン劇画」「ロリコン漫画雑誌」についても解説する。
概要アニメ調や少女漫画調の可愛らしい絵柄で性的に表現された美少女(ロリータ)。
少年・少女向けのアニメや漫画のキャラクターを思わせる絵柄の少女に性欲を感じたり萌えたりする漫画で[2]、未成年(主に中学生以下)に見える架空の美少女が描かれる[3]。
「エロ劇画」の全盛期だった1970年代末に、エロ劇画のオルタナティブとして登場した。その端緒は「オタク」(いわゆる「オタク第一世代」)によって草創期のコミックマーケットで頒布されたロリコン同人誌であり、少年漫画の絵柄でエロ(エロパロ)を描くのが画期的であった。漫画評論家の阿島俊(コミックマーケット準備会2代目代表・米澤嘉博の変名)は「同人誌における少年漫画がロリコン漫画によって復権した」と評している[4]。
1980年代初頭の「ロリコンブーム」の際は、アニメ系の絵柄の漫画がなんでも「ロリコン漫画」と呼ばれていたが、1980年代後期には市場の拡大とともにこのような絵柄が珍しくもなくなり、さらに「ロリータ」に限らない様々な分野に作風が分化し、総称して「美少女コミック
」と呼ばれるようになった。その後は「美少女コミック」の一分野として「ロリコン漫画」の系譜が脈々と続いている。一方、少女をリアルな筆致で描いた「ロリコン劇画」というサブジャンルもある。 1977年8月に公開された劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットを受けて、アニメの人気が高まり、アニメ雑誌が創刊ラッシュとなった。そのうちの一つである『アニメージュ』(徳間書店、1978年5月創刊)は、創刊当初よりアニメーターの宮崎駿を推していた。というのも『アニメージュ』編集部員の鈴木敏夫が『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年、高畑勲監督)を高く評価しており、折に触れて宮崎と高畑を取り上げた。当時はまだ『月刊ニュータイプ』も存在せず、『アニメージュ』が最大手であり、その分アニメファンに対する影響力は大きかった。 1979年12月、東京ムービー新社が製作した長編アニメーション映画『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)が公開される。同作には、主人公が「妬かない、妬かない、ロリコン伯爵」とのセリフを言うシーンがあり、アニメ脚本家の小黒祐一郎によると、この作品で初めて「ロリコン」という言葉を知ったアニメファンも多かったのではないかとのこと[5]。なお、このシーンはロリコンアニメブームの象徴的シーンとして、アニメ雑誌『アニメック』のロリータ特集号「ろはロリータのろ」(1981年4月号)でも表紙として採用された[6]。 『カリオストロの城』の興行成績自体は必ずしも高いものではなかったが、『アニメージュ』が総特集「宮崎駿 冒険とロマンの世界」(1981年8月号)を組むなど推しまくったこともあり、アニメファンからの評価は高く、特にヒロインであるクラリスは「ロリコン」アニメファンからの人気が非常に高く、『アニメージュ』の主催する1981年度(第4回)「アニメグランプリ」の歴代キャラクター部門で4位に入賞した(『アニメージュ』1982年6月号)。投票総数1万3千票、投票者の平均年齢は15歳前後と、当時のアニメのファン層はまだまだ若く、投票者の層は女子の方がやや多かったが、男女ともに高い支持を受けたシャア・アズナブルやキャプテン・ハーロックなどと違い、クラリスは男子からの人気が圧倒的で、男子に限った場合は投票数1位だった(女子における人気は12位で、少ないとは言え女子からも一定数の支持があったことは一方で特筆せねばならない。ロリコンブームにおける女子の存在は無視できない)。この人気を受け、アニメーターの宮崎は1982年より『アニメージュ』に漫画『風の谷のナウシカ』を連載する。本作は同じく「ロリコン」アニメファンに評判が良く、1984年には徳間書店の出資により映画化された。もっとも、当時の「ロリコン」アニメファンに大きな支持を受けた宮崎自身は、「ロリコン」という言葉を若い人が「あこがれ」の意味で使っていると思っており、「ロリコン」などと安易に口にして「あこがれ」を遊びにしている「ロリコン」アニメファンを嫌っていた[7]。ロリコンブームの火付け役とされる川本耕次(元『Peke』『少女アリス』編集長、ロリータ総合誌『ロリコンHOUSE』監修) 宮崎を推す『アニメージュ』に対し、競合アニメ雑誌『月刊OUT』(みのり書房)は、漫画家の吾妻ひでおを推していた。というのも『OUT』編集部員の川本耕次が吾妻ひでお推しであり、1978年8月号で最初の吾妻ひでお特集「吾妻ひでおのメロウな世界」を行って以来、たびたび特集を行い、また表紙を飾った[8][9]。『OUT』誌はアニメを中心としつつも漫画、同人、サブカルチャーなども扱う総花的な雑誌であり、特にオリジナル漫画やアニパロ漫画がウリであったことから、吾妻はゆうきまさみなどと並ぶ同誌の看板作家として漫画・アニパロ漫画を描いた。吾妻ひでお作品初のアニメ化として1982年に『コロコロポロン』が放送された際には、『OUT』(1982年6月号)で満を持して特集を行った。 『アニメージュ』1982年4月号には「ロリコントランプ」が付属。当時のロリコンアニメファンに人気のキャラが網羅されている。パッケージ画の担当は吾妻ひでお、「エース」は当然『カリオストロの城』のヒロイン・クラリスだった。 このような形で、主にアニメファンにおいて「ロリコン漫画」を支持する土壌ができつつあった。 1979年当時、東京・江古田に『まんが画廊』という喫茶店があり、よく漫画家がたむろしていた。そこでロリコン話をしていた、吾妻ひでおとアシスタントの沖由佳雄が、ロリコン同人作家の蛭児神建に声をかけ、ロリコン同人サークルが結成された[10][11] 1979年4月、吾妻ひでおの主宰する漫画制作チーム「無気力プロ」が制作した、日本初のロリコン漫画同人誌とされる『シベール』が「コミックマーケット11」で頒布された[12]。
歴史
黎明期
ロリコンアニメブーム(1979年)
ロリコン同人誌の出現(1979年)詳細は「シベール (同人誌)」を参照「謎の黒本」と呼ばれた日本初の男性向けエロ同人誌『シベール』1980年代前半のコミックマーケットに出没していた蛭児神建。このキャラクターは吾妻ひでお、内山亜紀、中田雅喜などのロリコン漫画にスターシステムとして採用された。