ロリコン漫画
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^ 編/漫画ブリッコ編集部『美少女同人誌 スーパーアンソロジー』白夜書房 1984年4月 p.166
^アニメ様365日 第121回 ロリコンブーム WEBアニメスタイル
^ a b cある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回 ロリコンにおける青山正明(2)
^ 『アニメージュ』1982年6月号、徳間書店、p.29
^ さべあのま「山田さんのこと」『川本耕次に花束を/増補改訂版』迷路'23、2023年10月、32-34頁。
^ 川本耕次トークイベント『SFと美少女の季節 Pekeから少女アリスまで』(2011年5月21日/米沢嘉博記念図書館)
^ KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、29頁。
^ 蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「蛭児神建氏のこと」(吾妻ひでおのあとがき漫画)角川書店、2005年11月、183-186頁。
^ a b 森川 2011, p. 184.
^ KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、32頁
^ 「『シベール』はコミケで列ができた最初のサークルだったんじゃないかと聞きました。当時会場整理のスタッフをしていた方から。サークルの前に人だかりというのはそれまでもあったけど、川崎市民プラザの時が、列整理をしないといけなくなった最初じゃないかって」吾妻ひでお森川嘉一郎+ヤマダトモコ+彩古「吾妻ひでお2万5千字ロングインタビュー 現代日本的美意識『かわいいエロ』の創始者」『KAWADE夢ムック 文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』河出書房新社、2011年4月30日、34頁。ISBN 978-4-309-97749-2。 インタビュアーのヤマダトモコの証言。
^ 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』4号(1981年6月)14頁「えっ! シベールが廃刊だって?!」
^ 吾妻 & 山本 2011, p. 141.
^ コミックマーケット準備会『 ⇒コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎、2005年7月、265頁。
^ KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、32頁。
^ a b 原 1982, p. 117.
^ 『月刊アドバタイジング』1981年12月号、p.48
^ a b c 小形克宏「山田さんが声をかけてくれなかったら、今日の僕はなかった」『川本耕次に花束を/増補改訂版』迷路'23、2023年10月、16-31頁。
^ 「ロリコンの商品化に先鞭を付けたのがマニア向けの漫画評論誌『ふゅーじょん・ぷろだくと』の56年10月ロリコン特集号であった。ここの編集部に、例の大塚某緒方がいた。その上にまた、例の高取英氏や川本耕次氏まで出入りしていたわけだ。あのクソ馬鹿馬しいロリコン・ブームとやらゆう騒ぎは、ほとんどこの四人がでっち上げた物である」蛭児神建「最初それは邪道を自覚した遊びのはずであったが!?」『ロリコンKISS』東京三世社、1986年4月、152頁。
^ a b 藤脇 2015, p. 56.
^ a b c d 昭和レトロ・懐かしポルノ館 - B5判64ページの夢/初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介 - ウェイバックマシン(2011年8月24日アーカイブ分)
^ a b 高月 2009, p. 56.
^新宿の大きい本屋で『陽射し』のサイン会したら、えらい列ができちゃって。夜までかかってサインを描いていた。本屋が閉まっちゃって、そのあとは倉庫で書いてた。『ふたりと5人』の時もサイン会をやったことあるけど、その時は3人くらいだったよ(笑)」吾妻ひでお『逃亡日記』日本文芸社 2007年 179頁。
^ KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、222頁。
^ 『戦後エロマンガ史』、p.255、米沢嘉博、青林工藝舎、2010年
^ 『ロリコンKISS』、東京三世社、1986年6月、p.148
^ 『戦後エロマンガ史』、p.261、米沢嘉博、青林工藝舎、2010年
^ a b中森明夫「おたくの研究」をめぐって(2) - たけくまメモ 2005年3月15日
^ 村上知彦「ニューコミック派宣言 “ニューウェーブ”から“ロリコン” “中道定着路線”、そして“ニューコミック”へ」月刊『宝島』臨時増刊号『マンガ宝島』JICC出版局、1982年3月、172-173頁。
^ 「これは『レモンピープル』編集長の久保(直樹)さんに聞いたんですけど、最初はどうやって作家を集めようかとなった時に、米沢(嘉博)さんに頼んだらしいんですよ。コミケでいろいろ探してきてくれて、それからは芋づる式というか、『レモンピープル』に載った作家が知り合いの作家をどんどん連れてくるという。なので、そのいわゆる同人を商業でやるという感覚で、人が集まってきて、そういう意味では久保さんは特に何も言わずに『レモンピープル』が育っていったと。それで、久保さんは元々、ロリコンとか、そういう文化をまったく分からない人なので、むしろそういう若い世代に勝手にやってもらう。その世代の方が漫画を持ってきて、載せることが逆に良いと考えて、そういう自由な誌面になっていったと。そういう風には言ってましたね。だから、計画的に練られた雑誌ではなくて、本当に時代が作った雑誌だったっていう感じのことを話してくれました」稀見理都.レモンピープル執筆者が1980年代美少女コミックシーンをゆるゆる語る会 Vol.0(2021年6月14日放送)
^ [1]
^ 米沢嘉博「『美少女』たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ」(所載:朝日新聞社朝日ジャーナル』1984年5月14日号)
^ 大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫、2016年3月、54頁。
^ 永山 2014, p. 163.
^ ヒロイン手帖 その19 永山薫 表現規制において怖いのは自主規制、問われるのは作家より編集者(文/荒玉みちお・構成/うぶモード特ロリ班) - VOBO
^ a b c 稀見 2017, p. 361.
^ 「おたく」の精神史 2016, p. 131.

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