ロラパルーザの立役者だったファレルは、自分の新プロジェクトに集中するためとしてフェスティバル組織から離脱し、フェスティバルの権利を世界最大のタレント事務所ウィリアム・モリス・エージェンシーに売却した。この時期、未知のジャンルやバンドを多く紹介する1990年代初頭の冒険性は徐々に薄らいでいた。多くの参加者は、1996年のメタリカの参加を「非メインストリーム」のミュージシャンを紹介してきたフェスティバルの歩みに反したものとみている。フェスティバルはカントリーミュージックのスーパースター、ウェイロン・ジェニングスの参加やプロディジーなどテクノミュージシャンの参加でジャンル横断性を維持しようとしたが、1998年のヘッドライナーを見つけることができず、結局1997年の回が最後となった。
再生2006年のロラパルーザ。カーシヴのパフォーマンス。
2003年、ファレルはジェーンズ・アディクションを再結成し新たなフェスティバル・ツアーを構想した。この年ロラパルーザは復活し、30都市を7月から8月にかけて回ったが、チケットは価格の高騰により売れ行きが芳しくなかった。翌2004年もツアーは予定されていたがやはりチケットの売り上げは伸び悩み、その年の6月になってキャンセルされた。
ファレルはキャピタル・スポーツ・アンド・エンタテインメント(現在の C3 プレゼンツ)と組み、ロラパルーザ・ブランドを共有し共同製作することになった。2005年に再開したロラパルーザはシカゴでの2日間開催となった。ステージ数は5つに増え、より多様なジャンルからの70以上のミュージシャンが出演し、猛暑にもかかわらず65,000人が集まる成功となった。以後、ステージ数や開催期間を増やしながらフェスティバルは毎年続いている。開催地は2011年までシカゴに固定されていたが、後に2018年までのシカゴ開催が決定している。 2011年、チリ・サンティアゴで、ロラパルーザが実施された。これはフェスティバルの初めての北米外での開催であった[2]。カニエ・ウェスト、ザ・キラーズ、ジェーンズ・アディクションがヘッドライナーとして参加し、チリのローカルアーティストもたくさん出演した。2012年、初めてブラジル・サンパウロで開催した。2013年にイスラエル・テルアビブで開催予定であったが中止された[3]。その後、アルゼンチン、ベルリン、パリ、ストックホルムと世界各地に進出していった。 2005年にシカゴでの現在のフォーマットになって以来、ロラパルーザに出演した日本人アーティストは、2010年のX JAPAN[4]と、2023年のBAND-MAID[5]およびリナ・サワヤマの3組。 ロラパルーザ シカゴ 年日付ヘッドライナーその他主な出演者 主な出演者 主な出演者 主な出演者
海外
主な出演者詳細は英語版「en:List of Lollapalooza lineups by year」を参照
2014年
2014年1日目(8月1日)アークティック・モンキーズ
インターポール
エミネム
ブロークン・ベルズ
ボンベイ・バイシクル・クラブ
フランシスカ・ヴァレンズエラ
AFI
リッキ・リー
チャーチズ
ウォーペイント
コーダライン
ザ・クークス
アバヴ&ビヨンド
キャッシュ・キャッシュ
Zedd
2日目(8月2日)カルヴィン・ハリス
スプーン
ケイト・ナッシュ
アウトキャスト
フォスター・ザ・ピープル
ナズ
ジョン・バトラー・トリオ
3日目(8月3日)スクリレックス
クローメオ
キングス・オブ・レオン
The 1975
チャンス・ザ・ラッパー
ギャラリー
Chicago 2009
Chicago 2010