ロマン主義の底流に流れているものは、古典主義や教条主義がしばしば無視した個人の、根本的独自性の重視、自我の欲求による実存的不安といった特性である。ロマン主義においては、古典主義において軽視されてきたエキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義・夢などといった題材が好まれた。また、それまで教条主義によって抑圧されてきた個人の感情、憂鬱・不安・動揺・苦悩・個人的愛情などを大きく扱った。また、古典主義はその技法上の制約によって芸術的自由を抑圧したと非難する主張や、古典主義の欠陥に対する反発から、ロマン主義は出発したとされる[7]。
この特性および主張は、道徳やキリスト教的倫理から文学を解放し、やがて写実主義・自然主義へと継承された。フランチェスコ・アイエツ『オダリスク』(1867年、ブレラ美術館所蔵) ローマ帝国時代のラテン語には、文語としての古典ラテン語と口語としての俗ラテン語が存在したが、その差はさほど大きくなかった。しかし、衰退期に入ると文語と口語の差は徐々に広がり、やがて、ひとつの言語の変種とは呼べないほどにその違いは大きくなり、文語は、古典ラテン語の知識のない庶民には理解困難なほどにまでなった。対して、その時代の口語のほうをロマンス語と呼んだ。ロマンス語で書かれた文学作品はロマンスと呼ばれるようになり、ギリシャ・ローマ ロマンを「浪漫」という当て字で表記したのは夏目漱石であり、1907年の講義録『文学論
「ロマン」の語源
ロマンと浪漫
また、1911年には長野県会議事堂での講演で、「自然派」と共に自身が「浪漫主義」と當てたと回答している。さて一方文学を攷察して見まするにこれを大別してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。 ? 夏目漱石、『教育と文芸――明治四十四年六月十八日長野県会議事院において――』
多くの和製漢語と共に中華圏で受容され、現在も中国語では「浪漫主義」の表現が用いられる。 文学では「ロマンティック (romantique)」という言葉を現在、その言葉に含蓄されているような意味合いで初めて使ったといわれるフランスのルソー(『孤独な散歩者の夢想
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