ロマン・ポランスキー
[Wikipedia|▼Menu]
脚本賞
2010年『ゴーストライター』
世界的貢献賞
1999年『ナインスゲート
生涯貢献賞
2006年
全米映画批評家協会賞
監督賞
2002年『戦場のピアニスト』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
監督賞
1980年テス
英国アカデミー賞
作品賞
2002年『戦場のピアニスト』
監督賞
1974年『チャイナタウン』
2002年『戦場のピアニスト』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1974年『チャイナタウン』
外国語映画賞
1980年『テス』
ゴヤ賞
ヨーロッパ映画賞
2002年『戦場のピアニスト』
セザール賞
監督賞
1979年『テス』
2002年『戦場のピアニスト』
2010年『ゴーストライター』
2014年『毛皮のヴィーナス
2019年『オフィサー・アンド・スパイ』
脚色賞
2010年『ゴーストライター』
2011年おとなのけんか
2019年『オフィサー・アンド・スパイ』
日本アカデミー賞
最優秀外国語作品賞
2004年『戦場のピアニスト』
その他の賞

備考
第44回カンヌ国際映画祭 審査委員長(1991年)
第53回ヴェネツィア国際映画祭 審査委員長(1996年)
テンプレートを表示

ロマン・ポランスキー(Roman Polanski、1933年8月18日 - )は、フランス出身の映画監督である。
経歴 
生い立ち

ユダヤ教徒ポーランド人の父親と、カトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間に、パリ11区で生まれる[1][2][3][4]。出生時の名前はライムント・ロマン・リープリンク(Rajmund Roman Liebling)。3歳のとき一家はポーランドクラクフに引っ越し、そこで幼少期を過ごした。

第二次世界大戦時は、ドイツがクラクフに作ったユダヤ人ゲットーに押し込められた。ゲットーのユダヤ人が一斉に強制連行される直前、父親はゲットーの有刺鉄線を切って穴を作り、ポランスキーはその穴から脱出に成功したが、両親はそのまま強制収容所へと送られた。その後、母親はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で虐殺された。母親はこの時妊娠していたとポランスキーは証言している。父親はナチスにより採石場で強制労働をさせられていたが、終戦まで生き残った。

またポランスキー自身も、ドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため、各地を転々と逃亡した。この体験がポランスキーの作品に深く影響を与えることとなった。
俳優


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:118 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef