ロボット
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1533年レギオモンタヌスは鷲型の空飛ぶ機械を製作した[13]。また、ジョン・ディーは空飛ぶカブトムシの機械を製作した。

1622年からくり人形の竹田座が大阪に開業(1768年まで)[4]

1739年ジャック・ド・ヴォーカンソンがアヒルを模したオートマトンを開発する。

1770年、「トルコ人」と呼ばれたチェスを指すオートマタと詐称した物が作製される。

1773年ピエール・ジャケ・ドローによる文字を書く人形が作製される。

1796年細川半蔵が茶運人形などの構造を図解した「機巧図彙」(からくりずい、きこうずい)を著す。

1886年ヴィリエ・ド・リラダンが「未来のイヴ」という小説でアンドロイドという語を初めて使ったとされる。

1921年カレル・チャペックが「ロボット」の造語を使用し、その概念が広まった。
テレヴォックスとR・J・ウェンズリー(1928年)

1926年ウェスティングハウス・エレクトリックのR・J・ウェンズリーが、3つの音程に反応してリレーの操作を行い、電話での遠隔操作も可能な装置「テレヴォックス」(Televox)を開発する。のち、1927年にニューヨークで開催された世界博覧会に展示された折に、筐体表面に人型に切り抜いたボール紙を貼り付けたことで、これが人型ロボット第一号とみなされることもある[14]

1927年、アンドロイドが登場する有名なSF映画『メトロポリス』が上映される。

1928年、世界初のヒューマノイドとされる「エリック」が作製される。

1928年、日本初のロボット[4]と認識されている「學天則」を、生物学者の西村真琴が製作した。その後、翻訳上演された外国演劇にロボットが登場したことをきっかけに関心が高まるも、第二次世界大戦勃発により日本のロボット開発は中断する[4]

1947年9月25日アメリカ空軍C-54輸送機オートパイロット大西洋を渡り、イングランドへの着陸に成功する。

1948年、ウィリアム・グレイ・ウォルターが、「エルマー&エルジー(Elmer and Elsie)」と呼ばれる初期の自律式ロボットを作成する。

1950年SF作家アイザック・アシモフが、『われはロボット』作中でロボット工学三原則を発表、人間との共存に関する議論の的となる。

1950年手塚治虫が漫画『鉄腕アトム』発表[4]

1961年、アメリカ合衆国のジョージ・デボルが、世界初の実用的産業用ロボットである「ユニメート」を開発・発売した。すぐにゼネラルモーターズの工場に納入され、ダイカスト作業に投入された[15]

1963年、日本初のTVアニメ「鉄腕アトム」が人気となり、劇中のロボット「アトム」は、のちの日本でのロボット開発において一つの目標となる。

1969年川崎重工がユニメートのライセンス生産を開始する[15]

1970年大阪万国博覧会が開催され、ロボットを中心にしたパビリオン「フジパンロボット館」が出展された。

1973年早稲田大学加藤一郎研究室が世界初となる独立歩行可能なヒューマノイド型ロボット「WABOT-1」を開発。

1970年代末、日本の多くの企業が産業用ロボット市場に進出する。

1980年代、自動車などの生産ラインに、溶接や部品の組み付けなどの作業を行う産業用ロボットが導入され始める。また同時期、マイコン制御による自律自走式のマイクロマウス競技が流行し、様々な企業や個人が、優れた迷路脱出能力をもつものを開発・発表する。さらにアメリカ等の国々で、マイコン制御の家庭用ロボットが複数市販された。これらはROMチップに焼き付けたプログラムをStepByStepで実行する関係で扱いが難しく、また高価であることからあまり普及しなかったものの消費者の関心を集めた。そのブームに乗り、パソコンゲーム機で制御する(人形やフィギュアとは別の意味の)「ロボット玩具」が普及し、テレビアニメ等で様々なロボット物の番組が提供された。

1985年筑波研究学園都市国際科学技術博覧会(つくば科学博)が開催され、「芙蓉ロボットシアター」などで様々な種類が展示された。
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