ロボット
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のち、1927年にニューヨークで開催された世界博覧会に展示された折に、筐体表面に人型に切り抜いたボール紙を貼り付けたことで、これが人型ロボット第一号とみなされることもある[14]。
1927年、アンドロイドが登場する有名なSF映画『メトロポリス』が上映される。
1928年、世界初のヒューマノイドとされる「エリック」が作製される。
1928年、日本初のロボット[4]と認識されている「學天則」を、生物学者の西村真琴が製作した。その後、翻訳上演された外国演劇にロボットが登場したことをきっかけに関心が高まるも、第二次世界大戦勃発により日本のロボット開発は中断する[4]。
1947年9月25日、アメリカ空軍のC-54輸送機がオートパイロットで大西洋を渡り、イングランドへの着陸に成功する。
1948年、ウィリアム・グレイ・ウォルターが、「エルマー&エルジー(Elmer and Elsie)」と呼ばれる初期の自律式ロボットを作成する。
1950年、SF作家のアイザック・アシモフが、『われはロボット』作中でロボット工学三原則を発表、人間との共存に関する議論の的となる。
1950年、手塚治虫が漫画『鉄腕アトム』発表[4]。
1961年、アメリカ合衆国のジョージ・デボルが、世界初の実用的産業用ロボットである「ユニメート」を開発・発売した。すぐにゼネラルモーターズの工場に納入され、ダイカスト作業に投入された[15]。
1963年、日本初のTVアニメ「鉄腕アトム」が人気となり、劇中のロボット「アトム」は、のちの日本でのロボット開発において一つの目標となる。
1969年、川崎重工がユニメートのライセンス生産を開始する[15]。
1970年、大阪万国博覧会が開催され、ロボットを中心にしたパビリオン「フジパンロボット館」が出展された。
1973年、早稲田大学の加藤一郎研究室が世界初となる独立歩行可能なヒューマノイド型ロボット「WABOT-1」を開発。
1970年代末、日本の多くの企業が産業用ロボット市場に進出する。
1980年代、自動車などの生産ラインに、溶接や部品の組み付けなどの作業を行う産業用ロボットが導入され始める。また同時期、マイコン制御による自律自走式のマイクロマウス競技が流行し、様々な企業や個人が、優れた迷路脱出能力をもつものを開発・発表する。さらにアメリカ等の国々で、マイコン制御の家庭用ロボットが複数市販された。これらはROMチップに焼き付けたプログラムをStepByStepで実行する関係で扱いが難しく、また高価であることからあまり普及しなかったものの消費者の関心を集めた。そのブームに乗り、パソコンやゲーム機で制御する(人形やフィギュアとは別の意味の)「ロボット玩具」が普及し、テレビアニメ等で様々なロボット物の番組が提供された。
1985年、筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会(つくば科学博)が開催され、「芙蓉ロボットシアター」などで様々な種類が展示された。
1996年、単体で完全な二足歩行を行う人型ロボット「P2」を本田技研工業が発表する。
1999年、ソニーが犬型ロボット「AIBO」を発売して人気となり、家庭用エンターテイメントロボットという市場が生まれた。
2000年、本田技研工業がASIMOを開発。
2002年2月4日、ロボット競技ROBO-ONE第一回大会が東京で開催。二足歩行ロボット研究が個人レベルにまで浸透する。
2004年3月18日、コンピュータ操作の無人自動車によるレース「DARPAグランド・チャレンジ」がアメリカ国防総省によってモハベ砂漠で開催。参加車両15台中、240kmを完走した車両は出なかったが、翌年10月の第二回大会では参加車両23台のうち5台が212kmを完走した。
2005年、愛・地球博開催。多種多様なロボットが発表され、展示だけでなく会場案内や楽器演奏、ミュージカル出演など活躍。
2008年、ロボットスーツHAL製品化。
2017年、香港のハンソン・ロボティクス(英語版)の人型ロボット「ソフィア」がロボットでは世界初の市民権をサウジアラビアで取得[16]、ロボットで史上初めて国連から称号を与えられる[17]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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