ロボット工学三原則
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千葉大学2007年11月21日に制定した「千葉大学ロボット憲章」は千葉大学におけるロボット教育・研究開発者にこの三原則を「永久的遵守」として大学を離れた後も遵守することを研究者に求めている[14]

ロボット工学者のマーク・W・ティルデン(英語版)は、生存の最優先、電源の確保、より安定した電源の探索、という三原則を提案している[15]
友好的な人工知能」も参照
オブジェクト[ソースを編集]

オブジェクトロボットには類似性が指摘されており、ロボット三原則が妥当すると考えられている[16]。以下のように整理されている。

オブジェクトは、そのメソッド名が表す動作を実行しなければならない。

オブジェクトは、害を及ぼしてはならない。

オブジェクトは、要求された動作を実行できない場合、ユーザに通知しなければならない。
? Ken Pugh『プレファクタリング リファクタリング軽減のための新設計』[16]
設定解説[ソースを編集]

以下、アシモフの作品中における描写を基に記述する。
作中世界における三原則の適用[ソースを編集]

アシモフの作品に登場する全てのロボットは陽電子頭脳と呼ばれる制御回路(本項目では原作に基づき『頭脳回路』と記す)により動作するが、この陽電子頭脳には安全策として三原則がほとんど例外なく適用されている。

三原則を実装することは法律などで特に義務付けられているわけではないが、にもかかわらず例外なく三原則が厳格に適用されているのは、ひとつは製造元であるU.S.ロボット&機械人間社が、ロボットの一般への普及における最大の障害となっている「フランケンシュタイン・コンプレックス」への対策として、ロボットが三原則ゆえに人間に危害を及ぼすことが絶対にありえないと強調・宣伝していること、もうひとつは三原則が陽電子頭脳の設計理論の根幹を成しているために、三原則非搭載の頭脳設計には多大な労力と期間を要することになり事実上不可能であることが理由である、とされている(『鋼鉄都市』)。

ロボットは三原則に背く行為を自ら選択することは不可能であるのはもちろん、不可抗力や命令の矛盾などによりやむをえず従えなかった場合でも、少なからず頭脳回路に障害や不調を生じ(言語が不明瞭になる、歩行が困難になるなど)、場合によっては頭脳が破壊されてしまうこともある。特に第一条の影響は強力で、後半の危険の看過を禁じた部分については、当のロボットに全く責のない状況で人間が傷つくのを目にしただけでも、頭脳回路に不調を生じるほどである(実際に人が死んだわけでもないのに、その可能性を含む工学的問題を与えられた陽電子頭脳が自己破壊してしまったケースも存在する)。また三原則はロボットの行動の全てに影響を及ぼすため、ロボット工学者は一見三原則とは全く関わりのないような簡単な質問によって、万が一ロボットが三原則を欠いていないかどうかをテストすることができる。

後に、ロボットの助けを借りて銀河系の他の居住可能惑星に移民した人々の子孫であるスペーサーの社会(スペーサー・ワールド)では、限られた数のスペーサー(人間)が多くのロボットを使役することで高度な生活レベルを維持しており、ロボット抜きの生活は全く考えられない。ロボットへの信頼により成立している社会であり、そこでは三原則は単なる工学上の原則に留まらず、もはや社会基盤そのものの根幹を成す原則と言っても良いものとなっている。
「ロボット心理学」とスーザン・カルヴィン[ソースを編集]

作中における三原則の目的は、ロボットが人間側の意図に逆らって制御不能に陥るのを防止することであったが、『われはロボット』で描かれているように、初期のロボットにおいては三原則に従っているにもかかわらず、あるいはむしろ三原則に従っているからこそ、人間側の意図に反した行動を取ってしまうようなケースがしばしば発生した。さらに二者の利益が相反したり矛盾した命令を受けた場合などに、ロボットの思考が袋小路に陥って機能停止する事態が発生し、その回避のための頭脳回路の修正も急務であった。このためにロボットの行動と三原則との関係を研究する「ロボット心理学」という派生分野が生まれることとなる。その先駆者となったのが、U.S.ロボット社の初代主任ロボット心理学者、スーザン・カルヴィンである。

カルヴィンのロボット工学に対する貢献は多大なものがあり、高価なおもちゃに過ぎなかった陽電子ロボットを真に実用的な道具に進歩せしめたのはひとえに彼女の業績であると言われている。そのために後世には彼女自身が三原則の考案者であるとして伝えられており、特に前述のスペーサー・ワールドにおいてはもはやその名は神格化されており、彼女がスペーサーでなく地球人であったという事実を信じようとしないほどである(『夜明けのロボット』)。また後述のように、『新・銀河帝国興亡史』にて第零法則に反対してあくまで三原則に従い人間の忠実な下僕であろうとするロボットの党派が「カルヴィン派」を名乗っている(ただしカルヴィン自身は、『災厄のとき』にて第零法則的な思想やそれに基づくロボットによる人類支配に肯定的な発言をしている)。
「人間」の定義[ソースを編集]

三原則は機械であるロボットが遵守するにはあまりに抽象的であり、実用上は多くの問題を含むが(だからこそアシモフは「三原則の62語から無限のアイデアを汲み出し」得たのだろうが)、特に重要と思われるのが第一条と第二条で述べられる「人間」の定義である。

具体的な例では、複数の人間に危機が及んでいるとき誰を優先して救助するか、犯罪者や子供の命令にも無条件で従うのか、そもそも機械であるロボットがそうした判断を行うこと自体が人権侵害に当たるのではないのか、などである。また、長編『はだかの太陽』では、育児用ロボットに「地球人はソラリア人より劣る有害な人種である」というデータが恣意的に入力され、それを教えられて鵜呑みにしたソラリア人の子供が地球人の主人公に遊戯用でも十分殺傷力がある弓矢を射掛ける、そしてロボットは上記データを考慮して地球人の救助という本来なら最優先の行動が遅れるという、人種差別の問題をも含む非常事態が生じている[17]

アシモフ自身も「ロボットに関する究極の結論」を求められた短編『心にかけられたる者』(『聖者の行進』所収)でこの問題に取り組んでおり、そもそも三原則を必要としないロボットの姿や、ロボット自らが考えるところの「三原則でもっとも優先されるべき人間」の定義が描かれている。また『バイセンテニアル・マン』(同)では、自ら人間になることを願ったロボットの姿を描き、人間とロボットとの境界線について論じている[18]

後年、『ロボットと帝国』ではこの問題が再び取り上げられている。R・ダニール・オリヴォーが「自分の頭脳には人間の外観や行動に関するデータがあり、それらと合致するかどうかで人間かどうか判断する」と述べるくだりがあり、またロボット自身の「人間」の定義や判断基準を歪めることで、三原則に抵触せずにロボットが人間を攻撃することも可能であることが示されている。こうした「人間」に関する考察は、後述の第零法則へとつながっていく。
三原則と人間の行動原則[ソースを編集]

『われはロボット』の一編『証拠』は、知事選に出馬した若き政治家スティーブン・バイアリイに関して、そのあまりに品行方正な人物像から彼の政敵が「彼は人間そっくりに作られたロボットだ」と主張する話である。この主張の裏付けを求められたカルヴィンは、ロボット工学三原則はひいては模範的な人間の行動原則でもあり(むやみに他人を傷つけず、他人を救うために自身をも犠牲にする/上司や行政の命令に従う/自身の安全を図る)、ある人物が三原則を遵守しているからといって彼がロボットであるとは結論できないと語っている[19]

逆に、その人物が三原則に反する行為を行えば、彼がロボットでなく人間であることが証明されることになり、バイアリイは講演の席で自分を挑発した聴衆のひとりを殴りつけることで、疑惑を一掃して選挙に勝利した。しかしその後カルヴィンは、たとえ彼がロボットであってもこの行動を可能とする方法を、すなわち「人間そっくりのロボットが別な人間そっくりのロボットを殴ることには、三原則上何の制限もない」ことを示している。なおバイアリイは優れた政治手腕で後に地球統一政府の初代総監にまで登りつめたが、最期は自身の体を元素分解して自殺してしまったため、彼の正体はついに謎のままであった(そして「聴衆のひとり」の正体も謎のままであった)[19]

『鋼鉄都市』では、地球のスペーサー駐在施設スペース・タウン(宇宙市)で殺人事件が発生した際、駐留していた全てのスペーサーが脳分析を受けた結果、全員が精神構造的に殺人が不可能であるとの診断を下されたとする件があり、スペーサー社会において三原則がロボットのみならず、スペーサー自身の模範的な行動原則としてもその精神に浸透していることがうかがえる(ただしスペーサーの多くは、先祖である地球人のことは野蛮で病原菌の巣窟であるとして同じ「人間」とはみなしておらず、当時の地球に対するスペーサー・ワールド諸政府の抑圧はこのことに起因している)。また全ての生物・非生物が精神共有を成している超有機体ガイアの住人は、その世界を維持しうる精神の鋳型として三原則(および第零法則)が刷り込まれている。
第一条を制限する試み[ソースを編集]

第一条では、人間への積極的な危害はもちろん、人間に危害が及ぶのを看過することも禁じている。しかしこのことが、人間がある目的のためにあえて危険に身をさらす必要が生じた際に問題を引き起こすこととなり、そのため第一条の制限が試みられたケースが存在する。

『われはロボット』の一編『迷子のロボット』では、超光速航法(ハイパースペース・トラベル)の研究が行われている小惑星「ハイパー基地」において、人間の作業員が有害な放射線に短時間ながら身をさらす必要が生じた際に(ロボットの陽電子頭脳は放射線に対して人間以上の脆弱性を示すため代行できない)、放射線の感知能力を持つNS-2型ロボットが、自身の破壊も顧みず作業員を「救助」しようとして作業を阻害する事態が続発した。そのため、第一条後半の危害看過禁止の部分を削除した改造型NS-2ロボットが製作された。この改造は最高機密としてスーザン・カルヴィンもあずかり知らぬところで行われており、改造NS-2の一体が逃亡して通常型NS-2に紛れ込む事件が起こった際に、初めてその事実を知らされたカルヴィンは「優れた能力を持つロボットを低劣な人間に隷従させているのは第一条のみであり、その制限など論外」と非難した。実際に問題の改造NS-2は自分の優秀性を誇示してあざ笑うかのように人間達を翻弄し続けたが、最後にはカルヴィンの策略に敗れて発見・破壊された。

ロボット長編2作目『はだかの太陽』の舞台となった宇宙国家ソラリアでは、子供は全て厳格な産児調整の下に生まれた後、養育施設におけるロボット保育に委ねられていた。しかし三原則に従うロボットには子供の将来のためにあえて厳しくあたるというしつけの概念が理解できず、子供が過保護になってしまう問題があり、その対策として第一条をある程度弱めることが検討された。またあるロボット工学者は、第一条の間隙を突いてロボットの軍事利用(すなわちロボットに他国の人間を殺させること)を画策していた。しかし、人間ひとり当たり1万体という超過密ロボット社会であるソラリアにおいて、ロボットに人間に危害を加える可能性を与えようとすることも、そして与えようとする人間も到底受け容れられるものではなかった。

夜明けのロボット』では、R・ジスガルドが地球人の銀河系再植民計画について「ロボットに依存して衰退しているスペーサーの轍を踏まないために、地球人はたとえ危険や困難が大きくともロボットの助け無しで開拓を行うべき」と語っており、こうした将来や多数の安全・利益のために現在の小さな危害をあえて看過するという考えは、後述の第零法則にもつながっている。


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