ロビン・ウィリアムス
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1960年代、サンフランシスコはロック・ミュージック、ヒッピードラッグ使用性革命の中心地であったが、批評家のジェラルド・ナックマン(英語版)は、1970年代遅くにウィリアムズが「コメディのルネサンス」(comedy renaissance) を牽引したと述べている[8]:6。ウィリアムズはこの時期に「ドラッグと喜び」(drugs and happiness) を見出したと話しており、「自分史上最高の脳がめちゃくちゃになる」(the best brains of my time turned to mud) のを目の当たりにした[35]。その後はロサンゼルスに移り、ザ・コメディ・ストア(英語版)をはじめとしたクラブでのスタンダップコメディを続けた。1977年、彼はロサンゼルスでテレビプロデューサーのジョージ・シュラッター(英語版)と出会い、シュラッターが手掛けた番組『ラフ・イン(英語版)』のリバイバルに出演しないかと持ちかけられる。番組は1977年遅くに放送され、これがウィリアムズのテレビデビュー作となった[35]。この年、ウィリアムズはHBOのために、L.A.インプロヴ(英語版)でのショーに出演している[46]。『ラフ・イン』のリバイバルは失敗したが、ウィリアムズはこれを機にテレビ番組のキャリアに足を踏み入れ、同時にロクシー・シアター(英語版)などのコメディクラブでスタンダップコメディを披露しながら、即興劇のスキルを磨き続けた[35][47]。彼はイングランドのザ・ファイティング・コックス(英語版)でも公演した[48]

ウィリアムズと40年来の仲であったデイヴィッド・レターマンは、ザ・コメディ・ストアで行われた最初の公演を観た時を思い返し、「[ウィリアムズ]はハリケーンのように現れた」(He came in like a hurricane)と評した上で、このクラブで自分もスタンダップコメディをやっていたことから、「なんてこった、自分にもショービジネスのチャンスが来るぞ」(Holy crap, there goes my chance in show business.)と考えたという[49]。ウィリアムズが初めてクレジットされた映画は、1977年の低予算コメディ『キャン・アイ・ドゥ・イット……ティル・アイ・ニード・グラスィズ?(英語版)』(原題)での端役だった。最初の主演作は1980年の映画『ポパイ』でのタイトルロールで、テレビ番組で見せていた演技力を存分に活かした(映画自体は興行的に失敗した)[50][51]
『モーク&ミンディ』詳細は「モーク&ミンディ(英語版)」を参照

『ラフ・イン』のリバイバルとNBCの『リチャード・プライアー・ショー(英語版)』に出演した後、ウィリアムズはゲイリー・マーシャルの手掛けるテレビシリーズ『ハッピーデイズ』で、異星人モーク役を演じることになった(1978年、シーズン5エピソード22 (My Favorite Orkan) )[35][25]。俳優の急な降板で急遽役を得ることになったウィリアムズだったが、オーディションで椅子に掛けるよう勧められたのにまくし立て、その風変わりなユーモアセンスはプロデューサーの印象に強く残った[52]。モーク役では語りやフィジカル・コメディ(英語版)の大半を即興で行い、高く鼻に掛かった声で話し、脚本のほとんどを自分で手掛けた。キャストやスタッフたち、テレビ会社の重役までも、彼の演技に深く感銘を受けたという。重役たちが演技を観た4日後には、競合他社を寄せ付けないためにウィリアムズと契約が結ばれたほどだった[53]

モークの視聴者人気から、パム・ドーバーを相手役にしたスピンオフ・シットコム『モーク&ミンディ』が放送されることになり(1978 ? 1982年)、この番組でも喋り・身動きといったウィリアムズの即興力が遺憾なく発揮された。『ハッピーデイズ』でも同じキャラクターを演じていたが、舞台は1950年代後半のミルウォーキーから、放送時分のボールダー(コロラド州)に変更された。『モーク&ミンディ』は、最盛期には週6000万人が視聴し、ウィリアムズを「スーパースター」に仕立て上げた[35]

画像外部リンク
en:File:Robin williams by michael dressler 1979.jpg:ドレスラーが1979年に撮影した『タイム』誌の表紙写真

モークの人気を受けて、ポスター、塗り絵本、弁当箱など様々なグッズが販売された[54]。第1シーズンの大成功から、1979年3月12日にはウィリアムズが『タイム』誌の表紙を飾るほどになった[55][56]。マイケル・ドレスラーが撮影した表紙写真は、ウィリアムズの死後すぐにスミソニアン博物館国立肖像画美術館に展示され、追悼の場となった[57]。また1979年8月23日には『ローリング・ストーン』誌の表紙を飾り、この時の写真はリチャード・アヴェドンが撮影した[58][59]

番組の大成功からウィリアムズはスタンダップコメディをより多くの観衆に届けられるようになり、1970年代終わりから1980年代を通して、HBOのコメディ特番 "Off The Wall"(1978年)、"An Evening with Robin Williams"(1983年)、『ア・ナイト・アット・ザ・メット(英語版)』(1986年、メトロポリタン歌劇場)などに出演している[60]。また、1979年にニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ(英語版)」で行ったライブショーを収録したアルバム "Reality ... What a Concept" で、グラミー賞コメディ・アルバム賞(英語版)を獲得している[61]
1982?1999年:映画スターダムへ

1982年の映画『ガープの世界』で主役を演じたウィリアムズは、作品に関して「スクリーン上ではある種の狂気が欠けていたかもしれないが、重要な核を持っていた」と考えた[注釈 6]。映画批評家のロジャー・イーバートは彼の演技を評して、「ロビン・ウィリアムズはガープ役を比較的もっともらしく、時に平凡な人物として演じたが、映画は彼の陽気な向こう見ずさと、彼を取り巻く無秩序状態の不調和な対比には邪魔されなかったようだ」と書いている[62]。1983年には『ロビン・ウィリアムズの大混戦サバイバル特訓(英語版)』、1986年には『クラブ・パラダイス(英語版)』など、この後も非主役でいくつかの映画に出演したが、キャリアを底上げするほどにはならなかった[45]。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}ウィリアムズの肉声1988年9月30日、スペースシャトル・ディスカバリーSTS-26)のクルーが聞いたモーニングコール。1987年の『グッドモーニング, ベトナム』で演じたエイドリアン・クロンナウア役に扮しているこの音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

1986年、ウィリアムズはアラン・アルダジェーン・フォンダと共に第58回アカデミー賞の司会を務めた[63]


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