ロビン・ウィリアムス
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ウィリアムズは映画『ハリー・ポッター』シリーズでルビウス・ハグリッド役を演じたがっていたが、第1作の監督クリス・コロンバスがキャストを「イギリス人限定」にするという方針だったため、断られた[97][注釈 7]。アニメ映画声優としての出演も続け、『ロボッツ』(2005年)、『ハッピー フィート』シリーズ(第1作は2006年、第2作は2011年製作)、『エブリワンズ・ヒーロー』(2006年、ノンクレジット)などに出演している。2001年の実写映画『A.I.』ではホログラフのDr.ノウに声を当てた。また、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートマジック・キングダム)にかつてあったアトラクション「ザ・タイムキーパー(英語版)」では、時を駆けるロボット・タイムキーパーの声を演じた[98][注釈 8]

2010年、ウィリアムズはロバート・デ・ニーロと共に「サタデー・ナイト・ライブ」のスケッチに出演し、2012年にはFXのテレビシリーズ『ルイー(英語版)』と『ウィルフレッド(英語版)』にそれぞれ本人役で出演した[99]。2011年にはラジヴ・ジョゼフ(英語版)の『バグダッド動物園のベンガルタイガー(英語版)』で、演劇でのブロードウェイデビューを飾った(作品は2011年3月31日にリチャード・ロジャース劇場(英語版)で幕開け)。この演技でドラマ・リーグ賞(英語版)の俳優部門にノミネートされている[100][101]。2013年5月にはCBSで主演新シリーズ『クレイジーワン ぶっ飛び広告代理店』が始まったが、1シーズンで打ち切られた[102][103]。生前最後に封切られた映画は『余命90分の男』(2014年)で、余命告知を受けた男が人生を変えようともがくコメディ作品だった[104]。没後、『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』(同シリーズ第3作)、『ロビン・ウィリアムズのクリスマスの奇跡(英語版)』、『シークレット・ロード』、『ミラクル・ニール!』(声のみの出演)の4作が遺作として公開された[105]
芸風と影響
芸風、創作に関与したもの

ウィリアムズは、スタンダップコメディを演じるストレスも相まって、キャリア初期から薬物乱用飲酒に逃れていた[8]:34?35。ステージ上では飲酒も薬物使用もしなかったが、二日酔いで舞台に上がったことはあると認めている[74]コカインを使用していた時期には、舞台上で偏執病(パラノイア)を起こしたこともあった[74]。このような赤裸々な独白を受けて、映画評論家のヴィンセント・キャンビーのように、ウィリアムズの「創作的過程が完全な崩壊に繋がらないか」心配する者もいた[106]

一方のウィリアムズは、世界情勢の絶え間ない変化により、芸のアイデアは尽きないという安心感を持っていた[74]。ショーの競争的な性質からか、ウィリアムズが強く否定しても、彼に自分のジョークを盗まれたと主張するコメディアンは何人もいた[74][107][108]。デイヴィッド・ブレナー(英語版)は、ウィリアムズの代理人と対峙して、ウィリアムズが自分のジョークを使っているのを1回でも聞いたら身体的危害を加えると脅迫していた、と記している[109][110]ウーピー・ゴールドバーグはウィリアムズを擁護する側で、コメディアンが同業他者の内容を使わずにいるのは難しく、同じようなことは今までずっと行われてきたと述べた[111]。ウィリアムズはこうした批判を避けるため、他のコメディアンのパフォーマンスを観に行くのは止めてしまった[111]

1992年に『プレイボーイ』誌で行われたインタビューで、ウィリアムズは仕事と人生のバランスを損なう恐怖に襲われたことはないか問われ、こう答えた。この段落では創作力や切れ味を失うのではと恐れて、直前に自殺していたジャージ・コジンスキーに触れ、自分ならそういうリスクは乗り越えられるだろうと話している。これに関し、自分にとっての重要事項を話すことを厭うなという父の教えが、自信を高める糧だった、と述べていた[74]。「なまくらでかちこちになってしまったら、とかいう恐怖や、何かを言うことに心配とか過度の恐れを抱くようになったら、物事を喋ったり連発したり話したりができなくなるのでは、という気持ちがある。[中略] 挑戦するのを止めたら、恐怖を抱いてしまうだろう」
"There's that fear?if I felt like I was becoming not just dull but a rock, that I still couldn't speak, fire off or talk about things, if I'd start to worry or got too afraid to say something. ... If I stop trying, I get afraid." ? ロビン・ウィリアムズ、『プレイボーイ』、1992年[74]
影響を受けた人物

ウィリアムズは自身が影響を受けたコメディアンとしてジョナサン・ウィンタースピーター・セラーズ、ニコルズ&メイ(英語版)、レニー・ブルースなどの名前を挙げ、高いウィットのレベルで、より知的な聴衆を惹き付けることになった彼らの能力を賞賛していた[8]:43。またジェイ・レノアドリブを織り交ぜた速攻力や、シド・シーザーもお気に入りで、彼らの演技は「貴重だ」precious と述べている[74]

中でもジョナサン・ウィンタースは、8歳時にテレビで初めて観た頃から特別な存在であり、キャリアを通じてインタビューの度に彼への敬意を示していた[8]:259[112]。ふたりはウィリアムズの出世作『モーク&ミンディ(英語版)』でも共演している[112]。「何でも可能になって、何でも面白くなる」ウィンタースの創意工夫に刺激を受け、「自由な形でよくて、物事の中と外に出入りするのは本当に簡単なのだ、というアイデアを教えてくれた」と回想している[注釈 9]

また、リチャード・プライヤーが薬物乱用やアルコール依存の問題も含め、自身の人生を舞台上で赤裸々に話す様子に影響を受けているとも語り、自分のパフォーマンスにも同様の内容を取り入れているとした。


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