ロバート・E・リー
守勢に回ったときや、リー曰く「地図を指して見せただけで私の真意をすべて読み取ることができた」ジャクソン将軍のような部下に恵まれた時はこのシステムは非常によく機能したが、しかし攻勢に回った時は全く機能しなかった[誰によって?]。
英軍の従軍武官はリーに関して「将軍の仕事に付きものである地味な作業は好まなかったようだ」と書き残している。実際リーは作戦書類を作成したりすることを好まず(これは敵である北軍に作戦計画が漏れないようにするためでもあったのだが)、北部に侵攻した時でさえそれに関する明確な書類は存在しなかった。明確な作戦目的(敵野戦軍の撃破、都市の攻略、補給物資強奪、など)の欠如は部下の将軍の間に混乱をもたらし、攻勢に転じた北バージニア軍は守勢に回ったときの強さを発揮することなく全て敗れている。
穏やかで人当たりのよい人格の持ち主であった。彼の穏和だが強い性格によって北バージニア軍司令部の運用が円滑であったこと、デービス大統領と個人的に親しかったことから南部政府との軋轢がほとんど無かったことが、彼の多くの勝利に寄与していたと考えられている[誰によって?]。
戦略的には戦争に勝利する方法を見つけることは出来ず(もちろんこれは戦域司令官の任務を超えることである)、2度にわたる北部侵攻作戦は、北部地域での勝利によって北部大衆の厭戦感をあおり、かつヨーロッパ列強による和平仲介が開始されることを期待するという、曖昧な戦略目的に拠るものであったが、2度とも勝利を得ることが出来ず撤退に追い込まれている。
奴隷制を「必要悪」として擁護していた。この啓蒙の時代に、奴隷制が制度として道徳的また政治的悪であることを認めようとしない人はほとんどいないと、私は信じる。その短所を長々と述べるのはつまらない。私は有色人種よりも白人にとって大きな悪だと思う。私の感覚が有色人種のために強く働く一方で、私の同情は白人の方に深く向かっている。黒人は、道徳的、肉体的および社会的にアフリカよりもここの方が遙かに良い暮らしをしている。彼らが経験している苦痛を伴う規律は人種としてさらに教導するために必要であり、より良い状態に進むための準備だと私は願う。彼らの奉仕がどのくらい長く必要かは、慈愛深い神意によって知らされ告げられるであろう。 ? Lee, R.E.、 ⇒"Robert E. Lee's opinion regarding slavery", フランクリン・ピアース大統領への手紙, December 27, 1856. civilwarhome.com. Retrieved October 24, 2007.
その他トラベラーに乗ったリー
ヴァージニア州にあるワシントン・アンド・リー大学はリーにちなんで名付けられており、ここには彼の愛馬トラベラー号も埋葬されている。
M3リー戦車はリーにちなんで名付けられている。
ソ連のスパイだったダンカン・リー(英語版)は子孫にあたる。また、ヘレン・ケラーの祖母とははとこにあたる。
彼の好物だったとされるオレンジとレモンをスポンジ・クリームなどケーキ全体に多く使用し、彼の名を冠した「ロバート・E・リー」というケーキ(日本の古いレシピ本では「リー将軍のケーキ」と訳されている)がアメリカに存在する。
各地にリーの記念碑や名を冠した施設があるが、時代経過に伴う意識の変化からアフリカ系やラテン系住民より、モニュメントの解体や撤去の圧力がかけられるようになっており、2015年にはニューオリンズのリー像が撤去され、テキサス州のヒューストン独立学区にあった「ロバート・E・リー・ハイスクール」は、2016年に「マーガレット・ロング・ウィズダム・ハイスクール(英語版)」に改名されている[1]。2017年、シャーロッツビルにあるロバート・E・リー像の撤去に抗議する白人至上主義者などの集会でカウンターを行っていたデモ隊に車を突入させたことにより、1人が死亡して19人が負傷する事件が起こり、一時は非常事態宣言を発令され、車を運転していた白人至上主義者が殺人罪で逮捕され、さらにバージニア州知事が白人至上主義者を強い語調で非難する事態となった[2][3]。結果的に像は2021年7月10日にシャーロッツビルから撤去された[4]。
2020年6月、ミネアポリスで発生した反人種差別デモが全米に拡大する中で、バージニア州リッチモンド中心地にあるリー将軍像の存在が、奴隷制の象徴として落書きなどの攻撃を受けるようになった。同月6日、バージニア州のラルフ・ノーサム知事は、リッチモンドのリー将軍像を撤去、保管する方針を表明した[5]。
脚注[脚注の使い方]
出典^ “How Robert E. Lee’s image transformed over time”. AP通信 (2017年8月14日). 2017年8月20日閲覧。
^ “白人至上主義者へのカウンターデモに車で突入、20歳の男を殺人容疑で逮捕 アメリカ・バージニア州”. huffingtonpost (2017年8月13日). 2017年8月20日閲覧。
^ “米南部の極右集会に抗議、1人死亡 州知事は白人至上主義者に「帰れ」”. BBCニュース (2017年8月13日). 2017年8月20日閲覧。
^ “南軍司令官の像撤去、米バージニア 17年には計画めぐり衝突も”. AFP (2021年7月11日). 2021年7月11日閲覧。
^ “米バージニア州、リー将軍の像撤去へ 「奴隷制の象徴」知事が表明”. 時事通信 (2020年6月5日). 2020年6月9日閲覧。
外部リンク
⇒Complete text of Recollections and Letters of General Robert E. Lee - by Captain Robert E. Lee, His Son
⇒Freeman's biography of Lee
⇒Biography by Appleton's and Stanley L. Klos
⇒Lee Chapel at Washington and Lee University where Robert E. Lee is buried
⇒Notice of Robert E. Lee's Assignment to Command of Confederate Forces on the Coast of South Carolina, Georgia and Florida, 1861 From the State Library & Archives of Florida.
Robert E. Leeの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
⇒Washington & Lee Mock Convention
⇒Robert E Lee / Virginia Monument at Gettysburg
⇒Obituary of Robert E. Lee, with a retrospective from a Northern point of view. The New York Times; October 13, 1870
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