ロバート・レッドフォード
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その後画家の道を志しヨーロッパに渡り放浪生活を送る[3] も挫折しアメリカに戻る。ユタ州に移住してアメリカ演劇アカデミーで舞台美術を学ぶ[3] が途中から俳優に転向し1959年ブロードウェイでデビューした。

テレビドラマ舞台で小さな役を経験し1962年には初の映画出演を果たすも大きな役に恵まれず長年に及ぶ下積み生活を余儀なくされた。1969年アメリカン・ニューシネマの傑作『明日に向って撃て!』に出演。ポール・ニューマンとの共演で話題を呼んだ本作は興業的に大成功を収め、レッドフォード自身も知的で信頼性があり、時に冷淡な雰囲気を醸し出す俳優として一躍スターダムに上り詰めた。

1970年代に入ると、ハリウッド屈指の美男俳優として数多くの作品に出演するようになり、1973年にはニューマンと再びタッグを組んだ映画『スティング』で主役の詐欺師を演じた。本作での軽妙な演技は高い評価を獲得し、第48回アカデミー賞では主演男優賞にノミネートされた上に作品自体は作品賞を受賞。その他にも、男女の哀しき恋愛を描いた映画『追憶』ではバーバラ・ストライサンド演じる理想主義な女性と恋に落ちる男を、ウォーターゲート事件を描いた政治サスペンス映画『大統領の陰謀』ではダスティン・ホフマン演じる若手記者と共に事件の究明を目指す後輩記者を熱演し、高い評価と人気を更に獲得していった。

1980年には監督業にも進出。初監督作品『普通の人々』で、処女作にもかかわらず、アカデミー監督賞を受賞。ハリウッドで初めて「演技と製作の双方で成功を収めた映画人」の地位を確立した。翌1981年ユタ州パークシティに若手映画人の育成を目的としてサンダンス・インスティテュートを設立。優秀なインディペンデント映画とその製作者を世に送り出すためにサンダンス映画祭を開催。現在は出演、監督、製作の面から映画に携わっている。

2013年、第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション外で上映された『オール・イズ・ロスト ?最後の手紙?』(J・C・チャンダー監督)における演技が批評家と観客の双方から絶賛された。

同年、サンタバーバラ映画祭においてアメリカン・リヴィエラ賞を受賞した[4]

2016年、大統領自由勲章を受章[5]

2018年8月6日、俳優を引退すると表明したと報じられた[6]
政治的スタンス

リベラル派で民主党支持者として知られ、環境問題ネイティヴ・アメリカンLGBTの権利[7]芸術活動などに取り組んでいる。議会にはたらきかけるアドヴォカシー団体も支援した。同じリベラル派のポール・ニューマンとは、政治的スタンスも一致していた。
私生活

1959年に結婚し4人の子供をもうけるが(一人は乳児の時に死去)1985年に離婚。1990年代から同棲していた[8]女性と2009年に再婚した[9]
ギャラリー

TVシリーズ『バージニアン』(1964年)

雨のニューオリンズ』(1966年)

スティング』(1973年)

華麗なるヒコーキ野郎』(1975年)

カンヌ国際映画祭にて(1988年)

代表作品
出演

公開年邦題
原題役名備考吹替
1962戦争狩り

Warhuntロイ
1965サンセット物語
Inside Daisy Cloverウエイド・ルイス井上真樹夫(テレビ東京版)
戦場はどこだ!
Situation Hopeless but not seriousハンク・ウィルソン
1966雨のニューオリンズ
This Property is Condemnedオーウェン広川太一郎
逃亡地帯


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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