ロバート・デ・ニーロ
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1976年『タクシードライバー』
1980年『レイジング・ブル』
放送映画批評家協会賞
アンサンブル演技賞
2012年世界にひとつのプレイブック
2019年アイリッシュマン
AFI賞
生涯功労賞
2003年
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1980年『レイジング・ブル』
セシル・B・デミル賞
2010年
全米映画俳優組合賞
キャスト賞
2013年アメリカン・ハッスル
生涯功労賞
2019年
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
主演男優賞
1980年『レイジング・ブル』
1990年『レナードの朝』

備考
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
第64回カンヌ国際映画祭 審査委員長(2011年)
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ロバート・アンソニー・デ・ニーロ・ジュニア([d? ?n??ro?] d? NEER-roh, イタリア語: [de ?ni?ro]; 1943年8月17日 - )は、アメリカの俳優である。
概要

マーティン・スコセッシとのコラボレーションで知られ、同年代の中で最高の俳優の一人に数えられる。デ・ニーロはアカデミー賞2回、ゴールデングローブ賞セシル・B・デミル賞全米映画俳優組合賞生涯功労賞を1回ずつを含む数多くの賞を受賞した。2009年、デ・ニーロはケネディ・センター名誉賞を受賞、2016年にバラク・オバマ大統領から大統領自由勲章を授与された。アメリカ芸術科学アカデミー会員である[1]

デ・ニーロはHBスタジオ、ステラ・アドラー・コンザヴァトリー、リー・ストラスバーグアクターズ・スタジオで演技を学んだ。1973年の映画『ミーン・ストリート』で初めてスコセッシとタッグを組んだ。デ・ニーロはフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー PART II』(1974年)におけるヴィトー・コルレオーネ役で助演男優賞、スコセッシのドラマ映画『レイジング・ブル』(1980年)におけるジェイク・ラモッタ役で主演男優賞と、2つのアカデミー賞を受賞した。他にも『タクシードライバー』(1976年)、『ディア・ハンター』(1978年)、『レナードの朝』(1990年)、『ケープ・フィアー』(1991年)、『世界にひとつのプレイブック』(2012年)でアカデミー賞にノミネートされた。

その他の主な出演作品には『キング・オブ・コメディ』(1982年)、『1900年』(1976年)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)、『未来世紀ブラジル』(1985年)、『ミッション』(1986年)、『グッドフェローズ』(1990年)、『ボーイズ・ライフ』(1993年)、『ヒート』(1995年)、『カジノ』(1995年)、『ジョーカー』(2019年)、『アイリッシュマン』(2019年)がある。『ブロンクス物語/愛につつまれた街』で監督デビューを果たした。コメディの役柄には『ミッドナイト・ラン』(1988年)、『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』(1997年)、『アナライズ・ミー』(1999年)、『ミート・ザ・ペアレンツ』(2000年)がある。

デ・ニーロはテレビでの役でも有名であり、HBO映画『嘘の天才 ?史上最大の金融詐欺?』(2017年)ではバーナード・マドフを演じプライムタイム・エミー賞主演男優賞リミテッド・シリーズ/テレビ映画部門ノミネートを受けた。彼はNetflixのリミテッド・シリーズ『ボクらを見る目』の製作と『サタデー・ナイト・ライブ』におけるロバート・モラー役でさらにエミー賞ノミネートを受けた[2]

1989年、デ・ニーロとプロデューサー、ジェーン・ローゼンタールは映画とテレビの製作会社トライベッカ・プロダクションズを設立し、自身の映画と並行して複数の映画を製作した。ローゼンタールとはまた、2002年にトライベッカ映画祭を開設した。デ・ニーロの出演作品の内6本が、アメリカ議会図書館によって「文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」としてアメリカ国立フィルム登録簿に登録されている。
生い立ち

ロバート・アンソニー・デ・ニーロ・ジュニア[3]は1943年8月17日にニューヨークマンハッタン[4]、画家ヴァージニア・アドミラルとロバート・デ・ニーロ・シニアの一人息子として生まれた [5]。彼の父親はアイルランドイタリアの血を引いており[6]、母親はオランダイングランドフランスドイツの系統である[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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