ロテール_(西フランク王)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

結局、980年5月にマルギュ=シュル=シエール(Margut-sur-Chiers)で両者の間に講和条約が結ばれ、ロテールはロレーヌを放棄した[5]

980年頃からロテールとユーグの息子ユーグ・カペーは対立するようになった。一方でオットー2世の急死に伴い、ランス大司教アダルベロンのとりなしによって後継のオットー3世と和解した。

986年3月2日、ロテールは死去した。王位はイタリア王ロターリオ2世の娘エマとの間の息子ルイがルイ5世として継承した。

ロテールは、実弟下ロレーヌ公シャルルの宮殿長ロベール伯の姉妹とされる愛人との間に、アルヌール、リシャールという2人の非嫡出子をもうけた。

庶子アルヌール(アルヌルフ)は988年にユーグ・カペーの推薦でアダルベロンの後継としてランス大司教となった[6]
脚注^ 瀬原、p. 89
^ 下津、p. 215
^ 瀬原、p. 97
^ 瀬原、p. 97-98
^ 瀬原、p. 98
^ 瀬原、p. 106

参考文献

瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年

下津清太郎 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1987年

先代
ルイ4世西フランク国王
954年 - 986年次代
ルイ5世










フランス君主
カロリング朝

シャルル2世 843-877

ルイ2世 877-879

ルイ3世 879-882

カルロマン2世 879-884

シャルル肥満王 885-888

ロベール朝

ウード 888-898

カロリング朝

シャルル3世 898-922

ロベール朝

ロベール1世 922-923

ボゾン朝

ラウール 923-936

カロリング朝

ルイ4世 936-954

ロテール 954-986

ルイ5世 986-987

カペー朝

ユーグ1世 987?996

ロベール2世 996?1031

ユーグ2世(共同王) 1017-1025

アンリ1世 1031?1060

フィリップ1世 1060?1108

ルイ6世 1108?1137

フィリップ(共同王) 1129-1131

ルイ7世 1137?1180

フィリップ2世 1180?1223

ルイ8世 1223?1226

ルイ9世 1226?1270

フィリップ3世 1270?1285

フィリップ4世 1285?1314

ルイ10世 1314?1316

ジャン1世 1316

フィリップ5世 1316?1322

シャルル4世 1322?1328

ヴァロワ朝

フィリップ6世 1328?1350

ジャン2世 1350?1364

シャルル5世 1364?1380

シャルル6世 1380?1422

シャルル7世 1422?1461

ルイ11世 1461?1483

シャルル8世 1483?1498

ランカストル朝

アンリ2世(異説あり) 1422-1453

ヴァロワ=オルレアン朝

ルイ12世 1498?1515

ヴァロワ=アングレーム朝

フランソワ1世 1515?1547

アンリ2世 1547?1559

フランソワ2世 1559?1560

シャルル9世 1560?1574

アンリ3世 1574?1589

ブルボン朝

アンリ4世 1589?1610

シャルル10世(対立王) 1589?1590

ルイ13世 1610?1643

ルイ14世 1643?1715

ルイ15世 1715?1774

ルイ16世 1774?1792

ルイ17世(名目上) 1792?1795

ボナパルト朝第一帝政

ナポレオン1世 1804?1814

ブルボン朝復古王政

ルイ18世 1814?1815

ボナパルト朝百日天下

ナポレオン1世(復位) 1815

ナポレオン2世(名目上) 1815

ブルボン朝復古王政

ルイ18世 1815?1824

シャルル10世 1824?1830

ルイ19世(異説あり) 1830


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef