ロッジP2
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1980年8月2日の朝に、ボローニャにあるボローニャ中央駅で爆弾テロ事件が発生し、駅舎と駅構内に停車していた客車が破壊され、これにより外国人を含む85人が死亡、200人以上が負傷した。当初この事件は鉄道事故と思われていたものの、事件後の捜査で捜査員が爆心地近くで金属片とプラスチック片を発見したことにより、テロ事件と断定され捜査が開始された。

事件後にはローマジェノバミラノのマスコミに、極左テロ組織の「赤い旅団」と、ネオファシズム組織の「武装革命中核」(Nuclei Armati Rivoluzionari/NAR)が犯行を名乗り出たが、 その後武装革命中核は「事件とは無関係で、犯行声明はでっち上げである」という声明を3日夜発表した[3]

しかしその後捜査当局は武装革命中核がテロの実行犯と断定し、さらに「ロッジP2」のメンバーで、イタリア軍安全情報局(SISMI)のナンバー2のピエルト・ムスメキ将軍が、ジェッリ代表の事件への関与の嫌疑をそらし、さらに極右組織「Terza Posizione」のリーダー達に嫌疑をかけるための偽装工作を行ったとして逮捕された。その後行われた裁判で、ジェッリとムスメキ将軍は捜査妨害などの罪で有罪判決を受けた。

なお、事件の動機は詳しくは判明していないが、爆破テロを行い多くの市民を殺害しその罪を共産主義者になすりつけることで、これまでの暴力的革命路線を放棄したことで無党派や中道層を取り込むなど、当時イタリア国内で勢力を拡大していたイタリア共産党をはじめとする左翼勢力による脅威と、イタリア共産党との協力路線である「歴史的妥協」をすすめ、その結果左翼勢力の勢力拡大を招いたキリスト教民主主義フランチェスコ・コッシガ政権の極左対策への無策をアピールし、世論を極右政党に対し有利な方向に誘導することが目的であったのではないかと言われている。
「P2事件」ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイアと後妻シルヴィオ・ベルルスコーニ

1981年3月に、ボローニャ中央駅爆弾テロ事件をはじめとする極右テロや複数の経済犯罪、さらに政府転覆謀議などへの関与の容疑でイタリア当局から逮捕状が出されていたジェッリ代表のナポリの別宅をイタリア警察が捜索した際に、既にフリーメイソンのロッジとしての認証を取り消されていた「ロッジP2」に、下記の10人を含む932人のメンバーがいることがジェッリ代表が隠し持っていたリストから確認され、イタリア政府より発表された[1]

その中には、第二次世界大戦後の王制廃止により、スイスポルトガルでの亡命生活を余儀なくされていたヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイアイタリア王国王太子の他にも、30人のイタリアの現役将軍、38人の現役国会議員、4人の現役閣僚、情報機関首脳、後のイタリアの首相となるシルヴィオ・ベルルスコーニなどの実業家大学教授などが含まれており、「P2事件」と呼ばれイタリア政財界のみならず、ヨーロッパ中を揺るがす大スキャンダルとなり、ときのアルナルド・フォルラーニ首相は辞任に追い込まれた[2]
破門

このような事実が明らかになった結果、これらのメンバーとの関係を疑われることになってしまったフリーメイソン内の委員会は、すでにロッジとしての認証を正式に取り消していた「ロッジP2」そのものを再度正式に「破門」したと発表した。

さらに、スイスに逃亡していたジェッリ代表を含む「ロッジP2」メンバーの中で、「ロッジP2」の認証取り消し後に他のフリーメイソンのロッジのメンバーとして活動していた者全員を、「フリーメイソンの名をかたった上で、フリーメイソンにふさわしくない活動を行った」として、1981年10月31日に正式に破門した。

また同年12月24日には、アレッサンドロ・ペルティーニ大統領が「ロッジP2」を「犯罪組織」と正式に指名し、その後議会に調査委員会が発足し調査が開始された。
カルヴィ暗殺事件ロベルト・カルヴィアンドレオッティとジェッリ

1982年に入ると、バチカン銀行の主力取引行で、「ロッジP2」メンバーであるロベルト・カルヴィが頭取を務めていたアンブロシアーノ銀行が、10億ドルから15億ドルともいわれる使途不明金を出して破綻し、カルヴィに逮捕状が出されたものの偽造パスポートで逃亡した。

その直後にカルヴィの秘書のグラツィエッラ・コロケールは、カルヴィを非難するメモを残して飛び降り自殺し、さらに6月17日にはカルヴィが逃亡先のイギリスロンドン暗殺され、ブラックフライアーズ橋に首を吊った姿で発見された。なお死体が発見された時点では「自殺」とされたが、その後の調査で暗殺であると認定された。

後にジェッリは逃亡先のジュネーヴで逮捕され、1980年8月2日に行われ多数の死傷者を出したボローニャ駅爆破テロ事件やアンブロシアーノ銀行破綻、カルヴィ暗殺に関与した暗殺犯の1人としてスイスとイタリアで起訴され、4年の懲役刑の有罪判決を受け服役したものの、数回に渡り脱獄と再逮捕を繰り返した[1]。なお、カルヴィ暗殺への関与については「証拠不十分」として無罪となった[1]

またジェッリの脱獄と逃亡には、これまでに何度も首相を含む主要閣僚を務めていたジュリオ・アンドレオッティをはじめとするイタリアの政界関係者のバックアップがあったと言われている。

なお、アンブロシアーノ銀行破綻とそれに続くカルヴィ暗殺事件には、ジェッリ代表やマルチンクス大司教をはじめとするバチカン関係者やイタリア政財界のみならず、マフィア関係者やユダヤ系金融家で大富豪ジェームズ・ゴールドスミス、果ては事件当時のローマ教皇であったヨハネ・パウロ2世とともに、出身国であるポーランドの反体制(=反共産主義政府)組織である「連帯」を資金援助していたCIAに至るまで、様々な組織の関与が噂された。


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