1980年代の社会的なコンサートとしては、ニール・ヤングらによる「ファーム・エイド」があげられる。これ以降は集客に力点が置かれた、文字通りのフェスティバルが多くなる傾向が見られた。
80年代にはヘヴィメタル・フェスのモンスターズ・オブ・ロック、1990年代初頭にはオルタナティブ・ロックの隆盛に伴ってアメリカ合衆国のロラパルーザやイギリスのグラストンベリー・フェスティバルなどの野外ロック・フェスティバルが開催された[3]。2000年代に入るとコーチェラやボナルーといった新世代のフェスティバルが人気を博し、2010年代はロックからEDM、ポップ、ヒップホップへとフェスティバルの主流が移り変わっていった[4]。 日本では1969年に第1回「日本ロック・フェスティバル」が厚生年金ホールで行われ、その後、日比谷野外音楽堂において「日比谷ロック・フェスティバル」が開催されるようになった。74年に大規模な「ワン・ステップ・フェスティバル」[注 3]、75年には「ワールド・ロック・フェスティバル」[注 4]が開催された。現在のような郊外の野外で大規模に毎年開催されるようになった例としては、1981年から始まったロックンロールオリンピックがある[5]。 バブル景気期の1980年代末になると、大型スポンサーを後ろ盾に外国のジャズやロックの著名なアーティストを呼んだ大規模な野外コンサートが行われるようになったが、バブル崩壊でスポンサーを失うと下火になっていった。 しかし欧米での野外ロック・フェスティバルの隆盛を受け、1997年に開催されたFUJI ROCK FESTIVALを皮切りに、RISING SUN ROCK FESTIVAL、SUMMER SONIC、ROCK IN JAPAN FESTIVALが開催され、現在これらは日本4大ロックフェスと呼ばれている[6]。4大ロックフェスを含む多くのロックフェスが夏に開催される一方、春フェスの代表としてARABAKI ROCK FEST.、VIVA LA ROCK、JAPAN JAM、METROCKなどがある。 なお、日本では1つのステージに数組のバンドが出演する、通常のコンサートと変わらない形態のイベントがロックフェスティバルを自称する場合がある。 通常のコンサートは、ステージが1つで出演するアーティストのラインナップが少ないのに対し、ロック・フェスティバルでは広大なエリアに複数のステージと多数の出演者が用意されていることが多い。 観客はスケジュール表(タイムテーブル、set times)で出演者のステージと時間を確認し、自由に会場内を移動することができる。 多くのフェスティバルではキャンプエリアを提供している。これは開催地の宿泊施設ではすべての観客をサポートできないためか、会場への交通アクセスが混雑しないようにするためとされる。 多数の観客が集まるロック・フェスティバルはトラブルも多く、1999年のウッドストックのように水などのリソースが観客に十分に提供されず失敗に終わった例もある[7]。 北海道 宮城県
日本
特徴アメリカの音楽フェスティバル、コーチェラの会場(2013年)
日本の音楽フェスティバル一覧
毎年開催のフェスティバル
北海道・東北地方
OTO TO TABI
RISING SUN ROCK FESTIVAL
JOIN ALIVE
活性の火
ARABAKI ROCK FEST.
気仙沼サンマフェスティバル