ロック・オペラ
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1969年には、5月にザ・フーが2枚組アルバム『トミー』、10月にイングランドのロック・バンドのザ・キンクスが『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』を発表した[注釈 17][16]。『トミー』はタウンゼントがインド導師メヘル・バーバーの教えに強い影響を受けて書いた作品で、父親が殺人を犯すのを目撃した衝撃で自らの意志で三重苦となって内なる世界に閉じこもった架空の少年トミーと彼を取り巻く様々な人々を描いた。アルバムは「ピンボールの魔術師」「シー・ミー・フィール・ミー」などの優れた曲を含む全24曲[注釈 18]から構成され、大きな話題を呼んで商業的成功を収め[注釈 19]、ロックの他のジャンルから独立したロック・オペラという新しいジャンルの存在を広く認識させるきっかけをつくった。『トミー』は発表されてから半世紀以上もの間、ロック・オペラの代表作の一つとして、ザ・フーの公演以外に、バレエ[注釈 20][17]、舞台[注釈 21][17]管弦楽曲[注釈 22]映画[注釈 23]ブロードウェイでのミュージカルなど様々な形で演じられた。
1970年代以降

タウンゼントらのロック・オペラは、多くのミュージシャンに影響を与えた。作曲家のアンドルー・ロイド・ウェバーは作詞家のティム・ライスと組んで、1970年にコンセプト・アルバム『ジーザス・クライスト・スーパースター』を発表し、アルバムのヒットで得た資金で舞台化して1971年にロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』を発表した。この作品はブロードウェイ公演で有名になると、『ヘアー』と同様にロック・ミュージカルと呼ばれるようになった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本では四季株式会社が制作企画・興行運営を行う劇団四季が複数回上演したので、商業主義の娯楽作と見られるようになってしまった。[要出典]

1973年、ザ・フーは2枚組アルバム『四重人格』を発表した。1960年代のロンドンに実在した若者の集団であるモッズ[注釈 24]に属する架空の青年ジミーの多重人格と精神の葛藤とを描写する全17曲から構成され、『トミー』に続くザ・フーの2作目のロック・オペラとされた[注釈 25]

1974年、ピーター・ガブリエルを擁するジェネシスは、大作『眩惑のブロードウェイ(ザ・ラム・ライズ・ダウン・オン・ブロードウェイ)』を発表した。ニューヨークに住むラエルという非行少年が地底世界に迷い込み、失っていた自分の一部を探すという内容で、欲望、奇怪なクリーチャー、狂気、救いとストーリーは転がってゆく。

1977年ミートローフが『地獄のロック・ライダー』を発表。ロック・オペラの代表的な作品とされており[18]、アメリカやイギリス等でロング・ヒットを記録して、2012年時点の累計売り上げは4300万枚[19]とされ、史上最も売れたアルバムの一つとされる[20]。1979年、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』は1,900万枚[注釈 26]を売り上げた。曲を書いたのは主にロジャー・ウォーターズである。ピンク・フロイドによって1980年1981年に、ウォーターズによって1991年ベルリンの壁で、大がかりなセットを使ってパフォーマンスが行われた。また1982年には、そのプロットを使って長編映画『ピンク・フロイド ザ・ウォール』が作られた。ウォーターズはさらにブロードウェイ・スタイルのものにも潤色している。

同じく1979年、フランク・ザッパは『ジョーのガレージ』を発表した。この作品は音楽が非合法化されたイラン革命に触発されたもので、9月にJoe's Garage, Act I、11月にJoe's Garage, Acts II & IIIが発表された[21]

1984年、社会主義体制のハンガリー人民共和国で映画『国王イシュトヴァーン[22]が公開され空前の大ヒットを記録した。1000年ないし1001年に戴冠したハンガリー初代国王イシュトヴァーンが国王になるまでの物語だが、登場人物やシーンの構成が『ジーザス・クライスト・スーパースター』を彷彿とさせる作品となった。作者は当初は映画の冒頭に「そしてその一千年後…」と表示するかどうか考えたと言う。このイシュトヴァーンの物語から千年後の1956年にはハンガリー動乱が勃発した。つまり本作品は千年前のイエスユダとの対立の物語を念頭に置きながらイシュトヴァーンとコッパーニュの戦いを描くことで、カーダール・ヤーノシュナジ・イムレ首相の対立[注釈 27]の悲劇を暗喩的に描いたものである。日本ではこの作品は公開されなかったが、成功を収めたことは報道されている[23]。上演は映画の撮影のためだけにブダペストの中央公園であるヴァーロシュリゲトで行なわれたものだったが、映画が大ヒットしたので舞台でも頻繁に上演されるようになった。

同年、ザッパは劇中劇の形式を採ったThing-Fishを発表[24]

1989年、ファット・ボーイズはラップ・オペラ『On and On』を発表。

1996年、ジョン・マイナーが『Heavens Cafe』をラスベガスのフラミンゴ劇場で上演。2004年にはロサンゼルスで再演した。

パンク・ロック・バンド、グリーン・デイは、2004年の反戦アルバム『アメリカン・イディオット』でアメリカ合衆国第43代大統領ジョージ・W・ブッシュの戦争を批判したロック・オペラを発表した。

前述の『国王イシュトヴァーン』以外にも、ロック・オペラは様々な言語で制作されてきた。たとえば、スペインのロック・グループ、マゴ・デ・オズの『Gaia II - La Voz Dormida』(2005年)などである。

2005年9月22日、ロック・バンドのLudoがリリースした『ブロウクン・ブライド/Broken Bride』は、ザ・トラベラーと呼ばれる男が愛する人を亡くして、数年後タイム・マシーンで彼女を救いに時間を遡るというストーリーである。彼の旅が年代記的に語られていく。

2006年ニュー・ジャージーの4人組ロック・バンド、マイ・ケミカル・ロマンスは、を患った男を主人公としたオルタナティブ・ロック・オペラ『ザ・ブラック・パレード』を発表した。


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