ロックの殿堂
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毎年約5-7人のパフォーマーが殿堂入りとなっている[42]

リードボーカルが殿堂入りした時に除外して物議となったため、ミラクルズフェイマス・フレイムズコメッツブルー・キャップズ、ミッドナイターズ、クリケッツの6グループが、2012年に特別委員会によってパフォーマー部門で追加殿堂入りとなった。候補指名委員会メンバーのテリー・スチュワートは「この件に関しては多くの議論がなされました」「リードボーカルが殿堂入り時にグループが含まれなかった理由については毎回話し合いがなされました。実に正直なところ、本当に誰もその質問に答えることができませんでした、もうずっと昔の話です。[中略]私たちは組織としてそれを座視することにしました。これがその結果です」[43]と語った。
アーリー・インフルエンス部門

アーリー・インフルエンスには、主にカントリーフォークジャズブルースなど、ロックンロールのアーティストに着想や影響を与えた、より昔の時代のアーティストが該当する。この部門で殿堂入りした著名なアーティストにはビル・ケニー&ジ・インク・スポッツ、カントリー奏者のジミー・ロジャースハンク・ウィリアムズ、ブルース奏者のハウリン・ウルフマディ・ウォーターズ、ジャズ奏者のジェリー・ロール・モートンルイ・アームストロングなどがいる。2000年のナット・キング・コールビリー・ホリデーの後、ロカビリー歌手のワンダ・ジャクソンが選ばれる2009年まで、この部門では誰も殿堂入りしなかった。 この部門の初期の殿堂入り達成者と違い、ジャクソンの経歴はほぼ全てが伝統的な「ロック時代」の始まりとなる1955年以降に起こったものである。
生涯の功績に対するアーメット・アーティガン賞

以前の「ノンパフォーマー(非演奏者)」賞で、この部門には、レコード会社の役員、作詞家、音楽プロデューサー、ディスクジョッキー、コンサート興行者、音楽ジャーナリストなど、主に音楽業界の舞台裏で働く人々が該当する。2007年と2009年を除き、この部門には毎年少なくとも1人は殿堂入り達成者がいる。殿堂の共同設立者アーメット・アーティガンの死後、2008年に彼の名誉を称えてこの賞が改名された[44]
ミュージカルエクセレンス賞

この部門は2000年に導入された以前の「サイドメン(伴奏者)」賞で、主にプロデューサーで構成される委員会によって選出された熟練のセッション演奏家およびコンサート演奏家を称えるものである。この部門は2004年から2007年まで休止しており、2008年に再始動した。2010年にこの栄誉が「ミュージカルエクセレンス賞」に改名された。ロックンロール殿堂財団の会長ジョエル・ペレスマンによると「この賞は、何らかの事柄に没頭する柔軟性を我々に与えてくれ、普段では気付けなかったかもしれない一部の(そうした)人々を認識させてくれる」という[45]
図書館と史料館オハイオ州クリーブランドにあるロックンロールの殿堂、2015年11月

ロックンロールの殿堂博物館にある図書館と史料館は、ロックンロールの歴史に関する資料に関する世界で最も包括的な収蔵庫である。 その使命はこれら資料を収集、保存、閲覧提供することである。図書館と史料館には二段階の運用がされている。(一般の)人々は図書館に来て、本や雑誌を読んだり、音楽やその他の録音物を聴いたり、ビデオや映画を見ることが可能である。また、真剣に取り組む学者、歴史家、報道記者たちは、アーキビスト職員の監督下で蔵書資料を閲覧することが事前予約で可能となっている。

図書館には、書籍、学位論文、様々な参考文献が収められている。そこにはよく読まれる雑誌、学術誌、業界誌、商用の録音オーディオと録画ビデオ、研究データベースも置かれている。

史料館には、レコード会社幹部、アーティストのマネージャー、各レーベル、歴史的会場、収録スタジオ、ステージ設計と照明の専門家、長期にわたるコンサートツアー、などから取り寄せた音楽業界の各種記録が収められている。そのコレクションには、アレサ・フランクリンマドンナによる直筆の個人的な手紙、ジミ・ヘンドリックスLL・クール・Jによる手書きの作業歌詞、スー・キャシディ・クラーク等による音楽ジャーナリストの論文、1970年代にCBGBで採れたレアなコンサート録音、といった重要な個人的物品も含まれている[46][47][48]
批判

殿堂への最も多い批判は、候補選考のプロセスが創設者のヤン・ウェナーやスーザン・エヴァンズ、作家のデイヴ・マーシュなど、ミュージシャンではない少数の個人によって管理されている点であり、ロック界全体の見解ではなく彼らの個人的な好みを反映していると言うものである。選考委員会の元メンバーは以前「スーザン・エヴァンズは晩餐のチケットを売れるビッグネームが十分でないことを理由にこの選別が行われたことを嘆いていました。それはドゥーワップのとあるグループを削除することですぐに修正されたのですが、アーティストの「名前」で好みを選んでいたように思えました。[中略]リストにもっと知名度が必要だからと、50年代から60年代初期の先駆的なアーティストが外されていく様子を私は目の当たりにしました。結果として70年代のスーパースターが、それを成し遂げられるようにした人達よりも先に(殿堂入りを)獲得しました。こうした数名の先駆者は現在もまだ入っていません」と語っている[49]シスター・ロゼッタ・サープは「ロックンロールのゴッドマザーないしグランドマザー」[50][51] と見なされることも多いが、2017年まで殿堂入りに選ばれなかった。ベルベット・アンダーグラウンドモーリン・タッカーはこの殿堂を「ダサい殿堂」だと吐き捨てた[52]

また、選考プロセスの不透明性に対する批判も存在する。ニューヨークタイムズ紙は次のように書いている。

名声とお金がかかってくるので、多くのロビー活動が舞台裏で行われているのは驚くことではない。特定のある年に幾人かのある演者が特定して選ばれる理由は部外者のみならず当事者達にとっても謎であるが、委員会のメンバーはそれを維持したいと言っている[53]

候補指名委員会のジョン・ランドー会長は、その方法を委員会が望んでいるとして「我々は議事録を不透明のままにしておく良い仕事を成し遂げているのです。全てが部屋の中で完結するのです」と発言している[53]

FOXニュースによると、数万の署名を伴う請願も無視されており、そのうえで特定レコード会社や企業と共に署名活動したり様々な委員会メンバーを傘下に置いた幾つかのグループは議論も一切されることなく指名候補に担ぎ上げられている[49] 。同委員会またはある特定ジャンルの大部分を無視していることで非難されている[54]。著述家のブレット・ミラノによると「ジャンル全体が飛ばされているのは、特にプログレッシブ・ロック、60年代のトップ40、ニューオーリンズのファンク、そして多くのブラックミュージックである」という[55]

もう一つの批判は、殿堂入りしたアーティストが多すぎる点である。この15年で、97組のアーティストが殿堂入りした[56] 。殿堂入りには最低50%の投票が必要だが、最終的なパーセンテージが発表されることはなく、投票用紙が発送される前に殿堂入りとなる確定人数が設定される[56]。候補指名委員会の元メンバーだったジョエル・セルビンを含む一部の投票者は、いずれの候補者も本当に価値があると思えなかったため、2007年には票を投じなかった[57]

2006年に殿堂入りしたパンクロックの英国バンドであるセックス・ピストルズのメンバーは、この博物館を「小便のしみ」「ワインに入れた尿」呼ばわりして、式典への出席を拒否した[58]

2013年にBBCの音楽ラジオ局 (BBC Radio 6 Music) で行われたジョン・ピールの講談で、歌手シャルロット・チャーチは「ロックの殿堂に入った295組の演者とアーティストのうち、全体の259組が男性で、36組の女性演者の1人はティナ・ウェイマストーキング・ヘッズ加入による」と指摘して、同博物館の性差別を非難した[59][60]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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