ロックの殿堂
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第一夜は、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドが特別ゲストのジョン・フォガティダーレン・ラヴトム・モレロサム・ムーアジャクソン・ブラウン、ピーター・ウルフ、ビリー・ジョエルと共に約6時間のコンサートを終えた[39][40][41]
殿堂入り達成者英国のギタリストでシンガーソングライターのエリック・クラプトンは唯一、ロックの殿堂入りを3度達成している「ロックの殿堂入り受賞者の一覧」も参照

アーティスト達は、年1回の授賞式でロックンロールの殿堂入りを果たしていく。長年にわたり、式典の多くがニューヨーク市のホテルウォルドルフ=アストリアで開催されてきた。 しかし、1993年1月12日に式典がロサンゼルスで開催され、2013年にも再び開催された。ロックの殿堂博物館開業から約1年半後の1997年5月6日、クリーブランドでこの式典が開催された。 2009年と2012年にも式典がクリーブランドに戻った。現行の計画は3年ごとに式典をクリーブランドで開催するよう求めている。

一般的に殿堂入りする人数は、各年5名から10数名ほどである。実際のところ存命する殿堂入り達成者は全員が式典に出席しており、彼らは音楽的に影響を受けた(殿堂の)アーティストから殿堂入りの栄誉を授与される。授与者と殿堂入り達成者の両方が式典で講演し、そこでは殿堂入り達成者と授与者の双方による音楽演奏が披露されることも多い。

1986年1月23日の初回で殿堂入りした人物には、エルヴィス・プレスリージェームズ・ブラウンリトル・リチャードファッツ・ドミノレイ・チャールズチャック・ベリーサム・クックエヴァリー・ブラザーズバディ・ホリージェリー・リー・ルイスなどがいた。 ロバート・ジョンソンジミー・ロジャース、ジミー・ヤンシーはアーリー・インフルエンス部門で、ジョン・ハモンドはライフタイム・アチーブメント賞で、アラン・フリードサム・フィリップスは非演奏者部門でそれぞれ殿堂入りした。
パフォーマー部門

ロックンロールの歴史家で構成される候補指名委員会は「パフォーマー」部門(歌手、ボーカルグループ、バンド、あらゆる種類の楽器奏者)の名前を選別し、その後世界中にいる約500人の専門家によって投票が行われる。投票に選ばれる人物には、学者、ジャーナリスト、プロデューサー、その他音楽業界功労者などが含まれる。アーティストは「最初のレコードがリリースされてから25年後」に殿堂入りを受ける資格を有する。選定基準には、ロックンロールの発展と永続に対するアーティストの貢献度(その影響や重要性)などが含まれる。認定投票が用いられ、最低50%の承認を条件として過半票を獲得した候補者が殿堂入りとなる。毎年約5-7人のパフォーマーが殿堂入りとなっている[42]

リードボーカルが殿堂入りした時に除外して物議となったため、ミラクルズフェイマス・フレイムズコメッツブルー・キャップズ、ミッドナイターズ、クリケッツの6グループが、2012年に特別委員会によってパフォーマー部門で追加殿堂入りとなった。候補指名委員会メンバーのテリー・スチュワートは「この件に関しては多くの議論がなされました」「リードボーカルが殿堂入り時にグループが含まれなかった理由については毎回話し合いがなされました。実に正直なところ、本当に誰もその質問に答えることができませんでした、もうずっと昔の話です。[中略]私たちは組織としてそれを座視することにしました。これがその結果です」[43]と語った。
アーリー・インフルエンス部門

アーリー・インフルエンスには、主にカントリーフォークジャズブルースなど、ロックンロールのアーティストに着想や影響を与えた、より昔の時代のアーティストが該当する。この部門で殿堂入りした著名なアーティストにはビル・ケニー&ジ・インク・スポッツ、カントリー奏者のジミー・ロジャースハンク・ウィリアムズ、ブルース奏者のハウリン・ウルフマディ・ウォーターズ、ジャズ奏者のジェリー・ロール・モートンルイ・アームストロングなどがいる。2000年のナット・キング・コールビリー・ホリデーの後、ロカビリー歌手のワンダ・ジャクソンが選ばれる2009年まで、この部門では誰も殿堂入りしなかった。 この部門の初期の殿堂入り達成者と違い、ジャクソンの経歴はほぼ全てが伝統的な「ロック時代」の始まりとなる1955年以降に起こったものである。
生涯の功績に対するアーメット・アーティガン賞

以前の「ノンパフォーマー(非演奏者)」賞で、この部門には、レコード会社の役員、作詞家、音楽プロデューサー、ディスクジョッキー、コンサート興行者、音楽ジャーナリストなど、主に音楽業界の舞台裏で働く人々が該当する。2007年と2009年を除き、この部門には毎年少なくとも1人は殿堂入り達成者がいる。殿堂の共同設立者アーメット・アーティガンの死後、2008年に彼の名誉を称えてこの賞が改名された[44]
ミュージカルエクセレンス賞

この部門は2000年に導入された以前の「サイドメン(伴奏者)」賞で、主にプロデューサーで構成される委員会によって選出された熟練のセッション演奏家およびコンサート演奏家を称えるものである。この部門は2004年から2007年まで休止しており、2008年に再始動した。2010年にこの栄誉が「ミュージカルエクセレンス賞」に改名された。ロックンロール殿堂財団の会長ジョエル・ペレスマンによると「この賞は、何らかの事柄に没頭する柔軟性を我々に与えてくれ、普段では気付けなかったかもしれない一部の(そうした)人々を認識させてくれる」という[45]
図書館と史料館オハイオ州クリーブランドにあるロックンロールの殿堂、2015年11月

ロックンロールの殿堂博物館にある図書館と史料館は、ロックンロールの歴史に関する資料に関する世界で最も包括的な収蔵庫である。 その使命はこれら資料を収集、保存、閲覧提供することである。図書館と史料館には二段階の運用がされている。(一般の)人々は図書館に来て、本や雑誌を読んだり、音楽やその他の録音物を聴いたり、ビデオや映画を見ることが可能である。また、真剣に取り組む学者、歴史家、報道記者たちは、アーキビスト職員の監督下で蔵書資料を閲覧することが事前予約で可能となっている。

図書館には、書籍、学位論文、様々な参考文献が収められている。そこにはよく読まれる雑誌、学術誌、業界誌、商用の録音オーディオと録画ビデオ、研究データベースも置かれている。

史料館には、レコード会社幹部、アーティストのマネージャー、各レーベル、歴史的会場、収録スタジオ、ステージ設計と照明の専門家、長期にわたるコンサートツアー、などから取り寄せた音楽業界の各種記録が収められている。そのコレクションには、アレサ・フランクリンマドンナによる直筆の個人的な手紙、ジミ・ヘンドリックスLL・クール・Jによる手書きの作業歌詞、スー・キャシディ・クラーク等による音楽ジャーナリストの論文、1970年代にCBGBで採れたレアなコンサート録音、といった重要な個人的物品も含まれている[46][47][48]
批判

殿堂への最も多い批判は、候補選考のプロセスが創設者のヤン・ウェナーやスーザン・エヴァンズ、作家のデイヴ・マーシュなど、ミュージシャンではない少数の個人によって管理されている点であり、ロック界全体の見解ではなく彼らの個人的な好みを反映していると言うものである。選考委員会の元メンバーは以前「スーザン・エヴァンズは晩餐のチケットを売れるビッグネームが十分でないことを理由にこの選別が行われたことを嘆いていました。それはドゥーワップのとあるグループを削除することですぐに修正されたのですが、アーティストの「名前」で好みを選んでいたように思えました。[中略]リストにもっと知名度が必要だからと、50年代から60年代初期の先駆的なアーティストが外されていく様子を私は目の当たりにしました。結果として70年代のスーパースターが、それを成し遂げられるようにした人達よりも先に(殿堂入りを)獲得しました。こうした数名の先駆者は現在もまだ入っていません」と語っている[49]


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