ロズウェル事件
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この領域にエンジンに使われたと思われるいかなる金属のサインもなかったし、いかなる種類のどんなプロペラのサインもなかったが、少なくとも一つのペーパーフィンがスズ箔の一部の上へと糊付けされていた。機器のどこにも単語は見つけられなかったが、パーツの一部には文字があった。かなりのスコッチテープと花柄がプリントされたテープが構造物に使われていた。ヒモもワイヤーも見つからなかったが、紙にヒモ通しの孔が開いていたことはある種のアタッチメントが使われていたことを示唆する」」

テキサス州ダラスにあるFBI事務所からあるFBI事務所へ送られたテレックスは、7月8日に第8航空軍の一少佐を引用する[7]:

「「円盤は六角形の形であり気球からケーブルによって吊るされていた。気球は直径およそ20フィートだった。見つかった物体はレーダー反射板をつけた高高度気象観測用気球に似ているとCURTAN少佐がさらにアドバイスしたが、彼らの事務所と当基地の間の電話会談はこの確信を生じさせなかった」」

ニュース報告

7月8日火曜日の早い時間、ロズウェル陸軍飛行場の報道官ウォルター・G・ハウト中尉(Lt. Walter G. Haut)はプレスリリースを発表しそれはすぐに多数のニュース特約社によって取り上げられた[8]

第509爆撃航空群の指揮官、ウィリアム・H・ブランチャード大佐(Colonel en:William H. Blanchard)は、テキサス州フォートワースにある第8航空軍のロジャー・M・レイミー准将General en:Roger M. Rameyにコンタクトを取り、レイミーは物体をフォートワース陸軍飛行場へと航空輸送するよう命令した。この基地で、アーヴィング・ニュートン准尉Warrant Officer Irving Newtonは、物体を気象観測用気球およびその「凧」であると同定するという、レイミーの予備的意見を承認した[4]。「凧」は地上から気球を追跡するのに使われたレーダー反射板へのニックネームである。物体が「気象観測用気球」であったと記述する、もう一つのニュースリリースが、こんどはフォートワース基地から発表された。

フォートワースでは、物体に由来すると言われる残骸の数枚のニュース写真がその日に撮られた。残骸は凧をつけた気象観測用気球の一般的記述と一致した。レイミー、トマス・J・デュボーズ大佐Col. en:Thomas J. Dubose、マーセルの三人は物体とともにポーズを取っていた。ブレイゼルは、その日のロズウェル・デイリー・レコード紙とAP通信によるインタビューの中で、「気象観測用気球」であるとする軍の断定をはねつけた。以前に牧場で彼が回収していた数個の他の気象観測用気球の例を出して、彼はこう言った。「私は自分が見つけたものはいかなる気象観測用気球でもないと確信している」[6]。この事件はすぐに忘れ去られた。
新たな目撃証言の登場

1978年以降、数年の間に「11の地点で、異星人の乗り物と異星人を回収することを目的とした大きな軍事作戦があった」など、新たな証言が現れた[1]

1989年には、元葬儀屋のグレン・デニス(en:Glenn Dennis)が、「ロズウェル基地でロズウェル異星人死体解剖が行われていた」との証言を行った[9](App.C)。

これらの証言を受け、ロズウェルのあるニューメキシコ州選出の下院議員スティーヴン・シフは空軍に対する会計監査を要求。これを受けて 会計検査院は調査を開始し、空軍長官室に内部調査を行うよう指示した。その結果は『ロズウェル・リポート』と題された二つの報告にまとめられた。

最初の報告書[10]1995年に発表された。それによると、「1947年に回収された物体はモーグル計画(Project Mogul)と呼ばれる秘密の政府計画に由来する残骸である可能性が高い」とのことであった。

第二の報告書[9]1997年に発表された。それによると、「回収された異星人の死体についての報告は、1956年6月26日に発生したKC97航空機の墜落事故の記憶や、1950年代に行われたハイダイヴ計画(Project High Dive)などの擬人ダミー回収の記憶が無意識のうちに変質したものであり、またそれらをもとにしてUFOマニアが創作した捏造であろう」とのことであった。最初の事件と航空機墜落事故との日付の違いについては、心理学的に説明可能な現象であるとされた。
異星人の話の出現ロズウェル事件墜落現場のCGによる復元
新しい目撃談とロズウェルUFOについての本

1978年、元核物理学者で作家のスタントン・T・フリードマンはジェシー・マーセルにインタビューした。マーセルは、回収された場所からフォートワースまでロズウェルの残骸に同行したと知られる唯一の人物である。それからほぼ15年のあいだ、彼や他の関係者はロズウェル事件についての話をもたらし、これらの話はロズウェルを忘れられた事件から、たぶん全ての時代の中で最も有名なUFO事例へと押し上げることとなった[1]

1990年代初頭までに、フリードマン、ウィリアム・ムーア、カール・フロック、ケヴィン・ランドルとドン・シュミットのチーム、といったUFO研究家たちは1947年のロズウェルでの出来事に関係を持つ、あるいは持つと主張する、数百人の人々にインタビューした[11]。さらに、何百もの文書が情報公開法に基づく請求を通して得られた。これらの文書の一部は、疑わしい「マジェスティック12」文書のように一見内部の者によってリークされたかのように装われた[12]

彼らの結論は、少なくとも一機の異星人の乗り物がロズウェル近辺に墜落したこと、異星人が回収されその一部はまだ生存していた可能性もあること、事件についてのあらゆる知識に対する大規模な隠蔽が行われたこと、であった。「ロズウェル事件の目撃談」も参照

多数の本、記事、テレビ特集、さらにはテレビ映画までもが1947年の事件に名声と悪評をもたらした。1990年中ごろまでに、1997年のCNN/Time のものをはじめとする複数の世論調査で、異星人が地球を訪れたこと、特にロズウェルに異星人が着陸し、政府がその事実を隠蔽したことを信じる者が大多数だったほどである[13]

1947年に報告された話と大きく食い違う一つの新しい物語が出現した。1980年にロズウェルについての最初の本が出版されてからの数年のあいだに、多くの新しい目撃者と報告が出現するとともに、この物語は進化していった。これらの話のある程度は事件が有名になったことによって出てきたという面もあるだろう。懐疑論者はこれらの話のもっともらしさに対して多くの反論を出したが、事件についての最初の空軍報告が発表され、異星人が存在することへの強い反論が広く知らしめられたのは1994年になってのことであった。

これらの著者たちが本当の出来事の推移であると思っていたことはそれぞれ違い、多数のシナリオが彼らの手によって出現した。それは、どの目撃談を採用しどれを無視するか、文書の証拠が示しているものを何とするか、によって違うものとなった。これは特に異星人の乗り物の墜落地点および回収地点として主張されたさまざまな場所に関して本当だった。さまざまな著者たちがこれらの出来事に対して別々の目撃者と別々の位置を記したのである[1]

ところが、以下のケヴィン・D・ランドルKevin D. Randleとドナルド・R・シュミットDonald R. SchmittによるUFO Crash at Roswell (1991)からの一般的輪郭はこれらの話のほとんどに共通である:

「「UFOは、1947年の夏に、ニューメキシコ州ロズウェルの北西に墜落した。その存在が牧場主によって報告された後に、軍はすぐに効果的に活動し残骸を回収した。残骸―これらの高度に訓練された男たちがそれまで見たことのあるいかなる物とも違う―は少なくとも三つの政府の軍事施設へとさっさと航空輸送された。残骸と活動の動揺を言い逃れるために偽の話がでっち上げられた。それは新しいラジオゾンデ標的デバイスをつけた気象観測用衛星が見つけられ、第509爆撃航空群の隊員を一時的に混乱させていたと説明された。政府職員がリポーターのデスクからメモを取り上げ、ラジオリポーターに記録された牧場主とのインタビューを再生しないよう警告した。回収にたずさわった男たちは事件について決して話さないよう言われていた。大騒ぎになることなく期待はずれに終わり、ロズウェルの出来事はすぐさま公衆の視野と報道の監視から消えていった」(p.4)。」

以下のものは対象について出版された一部の主要な本に書かれた出来事の推移についての話である。
The Roswell Incident (1980)

ロズウェルUFO事件についての最初の本は、チャールズ・バーリッツ(en:Charles Berlitz)とウィリアム・L・ムーア(William L. Moore)によるThe Roswell Incident[14](邦訳:『ニューメキシコに墜ちた宇宙船―謎のロズウェル事件』[15]、『ロズウェルUFO回収事件』[16])であり、1980年に出版された。その当時の著者たちによると、彼らは90人を超える目撃者たちにインタビューした。著者に名前を連ねていないが、スタントン・フリードマンがこの本のための実質的な調査を行っていた[17]。この本はジェシー・マーセルによって叙述された残骸の話を「この地球上で作られた何ものでもない」として注目した[14](p.28)。さらなる話が、マーセルが回収した物体が超高強度を持ち、ほかの特質も知られている地球起源のどんな性質とも結びつかず、これが確実に「気象観測用気球」に関連するものでないことを示した。この本はまた、フォスター牧場でマーセルによって回収された残骸が、気象観測用デバイスに由来する残骸に取って代わられ、隠蔽の一部をなしたという主張を紹介した[14](p.33; pp.67-69)。マーセルは本物の残骸と一緒にポーズを取り、そして物体はすり替えられ、他の者たちはすり替えられた残骸と一緒にポーズを取っていた。牧場から回収された本物の残骸―著者たちが墜落したUFOに由来するものと主張するもの―は報道による綿密な調査を許可されなかった。「空飛ぶ円盤に対するどんどん沸き上がる興奮状態」の信用性を失墜させ沈静化させるための、軍による取り組みがあったことも記述された[14](p.42)。さらに、目撃者の脅迫があったというさまざまな話が含まれていた。特に、そもそも最初に残骸を報告した人物である、マック・ブレイゼルが監禁されていたという報告があった。

この本はバーニー・バーネットBarney Barnettによる異星人の話も紹介した。彼は出版の数年前に死亡している。友人たちによると、彼は数多くの機会で、フォスター牧場の約150マイル(240 km)西の、ソコロ地域で空飛ぶ円盤が墜落し異星人の死体が回収されたことを叙述していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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