ロシア
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最大の民族はロシア人だが、ウクライナ人ベラルーシ人トルコ系のウズベク人、またシベリアや極東の少数民族なども存在し、合計で100以上の民族がある。公用語ロシア語だが、少数民族の言語も存在する[8]。宗教はキリスト教徒が人口の60%を占め、その大半がロシア正教会の信者である。イスラム教徒も人口の8%ほどおり、仏教徒も存在する[8]

地理としてはロシアの国境は、北西から南東へ、ノルウェーフィンランドエストニアラトビア、ともにカリーニングラード州と隣接するリトアニアおよびポーランドベラルーシウクライナジョージアアゼルバイジャンカザフスタン中華人民共和国モンゴル国朝鮮民主主義人民共和国と接する。海上境界線としては、日本とはオホーツク海宗谷海峡根室海峡珸瑤瑁水道アメリカ合衆国アラスカ州とはベーリング海峡を挟んで向かい合う。ロシアの国土面積は17,075,400 km2で世界最大であり、地球上の居住地域の8分の1を占める。国土が北アジア全体および東ヨーロッパの大部分に広がることに伴い、ロシアは11の標準時を有し、広範な環境および地形を包含する(英語版)。
歴史の概要

ロシアの歴史は、3世紀から8世紀までの間にヨーロッパで認識され始めた東スラヴ人の歴史に始まる[23]9世紀ヴァリャーグの戦士の精鋭およびその子孫により設立・統治され、キエフ大公国中世国家が誕生した。988年、東ローマ帝国からキリスト教正教会を導入し、次の千年紀のロシア文化(英語版)を特徴づける東ローマ帝国およびスラブ人の文化の統合が始まった[24]。キエフ大公国は最終的に多くの国に分裂し、13世紀には領土の大部分がモンゴルに侵略され、遊牧国家ジョチ・ウルスの属国になり、ロシアが西洋から隔絶される原因となった(タタールのくびき[25]モスクワ大公国は次第に周辺のロシアの公国を再統合し、キエフ大公国の文化的・政治的な遺産を支配するようになった。クリコヴォの戦いでジョチ・ウルスを破った後、ジョチ・ウルスは衰退し、イヴァン3世(イヴァン大帝)の時代に独立した。東ロシアのほとんどがモスクワ大公国に服した[26]16世紀中ごろにイヴァン4世(イヴァン雷帝)がモスクワ帝国を建設した。ピョートル大帝は、ロシア人がバルト海に行く道を確保し、1703年にバルト海に面するサンクトペテルブルクを建設した。1712年にサンクトペテルブルクはロシアの首都になり、1721年ロシアは帝国になった。周辺諸国の併合などを繰り返し、史上第3位の領土を持つ帝国となり、版図はポーランドから、北アメリカ大陸北西部(ロシア領アメリカ、後にアメリカ合衆国へ売却)まで広がった[27][28]

1917年ロシア革命の後、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ソビエト連邦最大かつ指導的な構成国となった。スターリン時代には大粛清で国民を弾圧する一方で、工業化と軍拡、周辺国の侵略(バルト諸国占領やフィンランドに対する冬戦争)を進めた。第二次世界大戦ではナチス・ドイツの先制攻撃を受けた後に反撃に転じ(独ソ戦)、連合国の勝利に決定的な役割を果たした[29][30]。こうして世界初の憲法上の社会主義共和国および、戦後はアメリカ合衆国と並ぶ超大国となった[31]。アメリカやその同盟国とは冷戦で激しく対立したが、ソビエト連邦の宇宙開発は初期においてアメリカを凌駕し、世界初の人工衛星および世界初の有人宇宙飛行を含む20世紀のもっとも重要な複数の技術的偉業(英語版)を経験した。やがてソ連共産党による一党独裁の弊害が噴出するようになり、1991年にソビエト連邦の崩壊に至った[8]

新たにロシア連邦を国名とし、ロシアも同等の国名とされた(1992年の憲法改正により)。ロシアの国旗は革命前の白・青・赤の3色旗に戻り、国際連合における地位などは基本的に旧ソ連を引き継いでいる[8]安全保障理事会常任理事国など)。
国名

ロシア連邦(Российская Федерация、ラテン文字転写: Rossijskaja Federatsija など、発音:ラッスィーイスカヤ・フィディラーツィヤ、IPA: [r??s?ijsk?j? f??d???rats?j?] 発音[ヘルプ/ファイル])。ロシア語では略号のРФ(RF)も使われる。英語表記は Russian Federation [32]

ロシア連邦憲法第1条第2項でロシア連邦とロシア(Россия、Rossija、ラッスィーヤ、[r??s?ij?]  発音[ヘルプ/ファイル])は同じ意味(同等の扱い)としており[33]、ロシア語においてもロシア連邦の意味でロシアが使われることもある。
歴史的な国名詳細は「ルーシ (地名)」を参照

ロシアの国名は、現代のロシア北西部とウクライナ、ベラルーシにあたるルーシという国家のギリシャ語名?ω?から派生した?ωσσ?α(現代ギリシャ語ではΡωσ?α)。この名は、ルーシの北東の辺境地に起こったモスクワ大公国がルーシ北東地域を統合し、“ルーシの遺産の争い”をめぐってリトアニア大公国と対立していた16世紀イヴァン4世(雷帝)のころに使われ始め、自称に留まったロシア・ツァーリ国を経て、18世紀初頭のピョートル1世(大帝)がロシア皇帝インペラートル)と称したことにより対外的にも正式の国名となっている。


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