ロシア語
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歴史詳細は「ロシア語の歴史(ロシア語版)」を参照.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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スラヴ祖語詳細は「スラヴ祖語」を参照
聖キュリロス(キリル)と聖メトディオス詳細は「en:Saints Cyril and Methodius」、「キュリロス (スラヴの(亜)使徒) 」、および「メトディオス (スラヴの(亜)使徒) 」を参照
古ロシア語詳細は「古ロシア語」を参照

ロシア語の起源については諸説あるが、東スラヴ人が使っていた古東スラヴ語10世紀 - 15世紀)から発展したという説が最もよく知られている。13世紀にキエフ大公国が崩壊した後、ルーシの地はモンゴル帝国に支配(タタールのくびき)されており、現代ロシア語にも財政金融に関わる単語を中心に、タタール語などのテュルク諸語モンゴル語の影響が残っている。その後、北東ルーシの辺境(現在のヨーロッパ・ロシア)でモスクワ大公国が成立し、この国の公用語がロシア語として独自に発展していった。

ロシア帝国の時代には、1708年ピョートル1世によってアルファベットが単純化されたのを皮切りに、ロシア語の改革が盛んとなった。18世紀後半にはミハイル・ロモノーソフが初めてロシア語の文法書を著し、標準語の形成に大きく寄与した。19世紀初頭にはアレクサンドル・プーシキンによって近代的な文語が確立した。また、宮廷は西欧諸国を模範として近代化を進めたことから、大量の専門語彙がオランダ語フランス語ドイツ語などから取り入れられた。その一方で、当時の上流階級はフランス語を日常的に使用しており[1]、19世紀の小説(レフ・トルストイの『戦争と平和』など)はフランス語を交えて書かれた作品が多い。
ソ連時代

ソビエト連邦ではロシア語が事実上の公用語であり、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を除くソビエト連邦構成共和国において共通語として機能していたが、公式には公用語は存在しなかった。テュルク系のチュヴァシ人を祖先に持つレーニンオーストロ・マルキシズムカウツキーの影響のもと、1914年の論文『強制的な国家語は必要か?』において国家語の制定を批判した。また、自身も少数民族グルジア人の出自を持つスターリン民族問題の専門家として民族語奨励政策を採用した結果、ソ連はその崩壊にいたるまで、ロシア語を正式な公用語の地位につけることはついになかった(ちなみに、オットー・バウアーから借用した「形式は民族的、内容は社会主義的な文化の建設」というスターリンのテーゼはまず言語問題にまつわる1925年の演説『母語による教育』において現れた)。それゆえ、ロシア語が公的に国家語化したのはロシア連邦成立後である[2]

1918年には、アレクセイ・シャフマトフ(ロシア語版)が準備していたアルファベット改革案がボリシェヴィキによって実行に移され、現在のロシア語の正書法が成立した。ただし、Ёはこの時点でまだ正式なアルファベットとして認められておらず、正式に組み入れられたのは1942年のことである。なお、1964年にもソ連科学アカデミーによって正書法の改革案が作られたが、こちらは実施されなかった。「ロシア語正書法の改革(英語版)」も参照
ソ連崩壊後

1991年末のソビエト連邦の崩壊で、ソ連を構成していた各共和国はそれぞれ独立し、それまでロシア語との併用という形を採っていたそれぞれの民族語が第一の公用語へと昇格したが、その後の言語状況に関しては様々である。

バルト三国と呼ばれるエストニアラトビアリトアニアでは、ソ連からの独立以降急速に各民族語(エストニア語ラトビア語リトアニア語)が使用される機会が増えている。もちろんソ連崩壊後30年程しか経過しておらず、またロシア系住民が多い地域などではロシア語が今でも使われるが、ソ連時代と比べるとロシア語はそれほど使われなくなっていると言える。特にこの3カ国が2004年EUに加盟してからは、英語ドイツ語がより広く学ばれるようになっている。ただし、ソ連時代後期にロシア語人口がラトビア語人口を逆転するのではないかと言われたラトビアでは、独立回復後に制定した国籍法で国籍取得要件にラトビア語の習得を義務付けたという経緯がある。これによって多くのロシア系住民をロシアへ移住させる事に成功したが、国籍を与えられない残留ロシア人の権利が阻害されているとするロシア政府からの抗議を受け、さらに欧州委員会からもこの言語規定が市民の平等を定める欧州憲法に違反しているという指摘を受けた。2018年4月には、教育法が改正され、ロシア系住民が通う学校であっても、小学校は50%以上、中学校は80%、高校は100%の科目をラトビア語で教育することが義務付けられた[3]

モルドバにおいては、ロシア語が国内共通語と法定されてきたが、2018年6月に失効が確認された[3]

また、ロシア影響圏からの離脱を模索するウクライナジョージアでも、ロシア語ではなくウクライナ語グルジア語がより広範に使われている。ウクライナでは、西部を中心に従来よりほとんどウクライナ語のみが使用されている地域がある一方で、ウクライナ語とロシア語両方が使われている地域もあり、また東部やクリミア半島ではロシア語の使用者が大勢である地域もあり、地域によっては将来的にもロシア語は当分使われ続けると推定されている。一方で、都市部を中心に伝統的にウクライナ語とロシア語の混交が起こっていたが、ソ連の崩壊以降、それまでロシア語が優勢であった地域を中心にウクライナ語にロシア語の要素が混じった「スールジク(混血)」と呼ばれる混交言語が広まりを見せている。現在でも、ウクライナ西部を除く広範囲でロシア語は使用、理解されており、ロシア語をウクライナ語に次ぐ第二公用語に加える動きもあるなど、今までのロシア語排除の動きから転換点を迎えようとしている。

ジョージアもまた長年ロシア語による支配を受けてきた国であった。ジョージア政府はロシア語教育を廃止し、ロシア語読みに基づいた国名である日本語の「グルジア」を英語読みの「ジョージア」に変更することを要請しており(グルジア語名では「サカルトヴェロ」)、日本政府も承諾している。また、ロシアに多くのジョージア人が住んでいることなどからロシア語は今でもよく使われている。

それ以外の地域に関しては、今でもロシア語が幅広く使われ続けている。ベラルーシカザフスタンキルギスウズベキスタントルクメニスタンなどでは非ロシア人でもロシア語しか喋れない人も多く、また多民族が入り混じって生活する中央アジア諸国では、ロシア語が民族を超えた共通語として使われている。


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