重要海港として、黒海沿岸にはノヴォロシースク、バルト海沿岸にはサンクトペテルブルク、カリーニングラード、太平洋岸にはナホトカ、ボストチヌイ、ウラジオストク、ワニノ、ペトロパブロフスク・カムチャツキー、北極海沿岸にはムルマンスク、アルハンゲリスクがある。重要な河川港として、ルイビンスク、ニジニ・ノヴゴロド、サマーラ、ヴォルゴグラード、アストラハン、ロストフ・ナ・ドヌがある。しかし、国土が高緯度にあるため、上に挙げた港のうち海港の不凍港は、バレンツ海沿岸のムルマンスク、バルト海沿岸のカリーニングラード、太平洋岸のウラジオストク、ナホトカ、ボストチヌイ、ペトロパブロフスク、黒海沿岸に限られる。
周囲の各内海は、孤立しており直接は接していない。また2つの大洋も、冬季は凍結により著しく連絡が困難になるという特徴を持っている。
バレンツ海を含む北極海と大西洋は北方艦隊、バルト海はバルト海艦隊、黒海は黒海艦隊、太平洋は太平洋艦隊、カスピ海はカスピ小艦隊が管轄している。黒海艦隊は地中海に、太平洋艦隊はインド洋にも度々展開している。
歴史
ロシア帝国海軍詳細は「ru:Военно-морской флот Петра I」および「ru:Российский императорский флот」を参照防護巡洋艦「ヂアーナ」(1897年)防護巡洋艦「アヴローラ」(1903年)
ロシアはもと内陸に発した国であったが版図の拡大とともに港湾を獲得していき、ピョートル1世の時代にアゾフ海から黒海への遠征を行った。1693年にアルハンゲリスクにロシア初の造船所を建設し、1695年に初の常設艦隊を設置[3]、1696年には海軍を創設した。1699年のオスマン帝国とのカルロヴィッツ条約でアゾフ海の制海権を得た。
1700年に始まった大北方戦争の最中の1703年、フィンランド湾奥に海港サンクトペテルブルクを建設。バルト海艦隊(バルチック艦隊)の本拠となった。1712年、ハンゲの海戦でスウェーデンを撃破し、バルト海の覇権を得る。これを機にロシアは海軍の整備を始めた。18世紀まではスウェーデン海軍に敗れるなど稚拙な面は否めなかったが、19世紀初頭には海軍省が設置され、イギリス海軍、フランス海軍に次ぐ世界3位の規模を誇った[3]。
しかし、クリミア戦争ではシノープの海戦でオスマン帝国海軍を壊滅させた一方で、セヴァストポリ防衛のために艦船を自沈させて水兵を歩兵に転用するなど苦戦を強いられ、1856年のパリ条約で黒海艦隊を手放さるを得なかった[3]。それでも、1855年の日露和親条約と1858年の日露修好通商条約締結にはエフィム・プチャーチン提督が尽力するなど、海軍の政治力は未だ大きいままで、日露戦争勃発までには豊富な国力によって10隻を超える戦艦を有する大規模な海軍を有するようになった。