ロシア正教会
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10世紀以前から既にドニエプル川流域にはキリスト教正教会の伝道は行われていたが、988年ウラジーミル1世によるルーシ人の集団洗礼がロシア正教会の起点とされる[8]。ウラジーミルは、家臣を外国に派遣して信仰の実状を探らせた。家臣は正教の儀式に対し「私たちは天上にいたのか地上にいたのかわかりませんでした。地上にはこのような光景も美しさもなく、また物語ることもできないからです。あそこでは神は人々と共におられ、彼らの勤行がすべての国にまさっていることだけは間違いありません」と報告したため、正教を国教としてビザンツ帝国から導入した[9]

1589年に、モスクワ総主教を戴く独立正教会としての地位をコンスタンディヌーポリ総主教アレクサンドリア総主教アンティオキア総主教エルサレム総主教から承認された。

2010年現在のロシア正教会は約9000万人の信徒数を擁する世界最大の独立正教会組織であり、その規模は信徒数で第2位の独立正教会組織であるルーマニア正教会(約1900万人)を大きく引き離している。管轄地域はロシア、ベラルーシウクライナカザフスタンをはじめとしたソ連邦を構成していた諸国や、海外のロシア正教会系の教区に及んでいる。

無神論を標榜するソ連邦時代には一貫して弾圧を受け続け、大多数の聖堂を破壊され、聖職者修道士・修道女・信徒が虐殺されるなどの甚大な被害を受けたロシア正教会であるが、ソ連邦崩壊後には復活を遂げ、教勢を増している[10]。「救世主ハリストス大聖堂」および「新致命者」も参照

ロシア正教会の指導者はモスクワ総主教(モスクワおよび全ロシアの総主教)。現在の総主教キリル1世である(2009年2月1日より)。

ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)は事実上の自治正教会日本ハリストス正教会は自治正教会となっており、これらはモスクワ総主教の庇護下にありつつも財政的に完全に独立し、大幅な裁量を持つ自治を行っていた。2007年には在外ロシア正教会との和解が成立する。在外ロシア正教会はモスクワ総主教の庇護下で自治正教会に準ずる扱いを受けていた。ただし、2018年のウクライナ正教会のロシア正教会からの独立をめぐって合意が満たせずに決裂。ロシア正教会はコンスタンチノープル総主教庁との断絶を決定し、日本ハリストス正教会がこれに続いたため東方教会は大分裂の危機を迎えている。

ロシア正教では、キリストが洗礼を受けたとされる1月18日から19日にかけて、沐浴をするのが伝統であり、熱心な信者が凍った湖や川に穴をあけて沐浴する場面も、ロシアの多くの場所でみられる。
詳細
教勢の拡大ノヴォデヴィチ女子修道院の全景。ソビエト連邦の崩壊後に修道生活が本格的に復興された。2004年世界遺産

正教会をはじめとして宗教に大弾圧を加えたソヴィエト政権が崩壊した後、ロシア正教会はロシア人の精神的なよりどころとして教勢を再び伸ばしている。破壊されたカザン生神女福音聖堂モスクワ救世主ハリストス大聖堂の復興・再建をはじめとして、各地でソ連時代に破壊された聖堂の復興や教会組織の再建、および修道院の復興・新設が進んでいる。ソ連時代に禁じられていた放送・出版も活発に行われるようになった[10]

ソ連時代に停滞していた聖歌作曲も再び活発となり、イラリオン・アルフェエフ府主教やボリス・フェオクチストフといった新たな世代の聖歌作曲家が現れている。また、古典聖歌(ズナメニ聖歌)の復興・研究も活発に行われるようになった。
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