ロシアによるクリミアの併合
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第二次世界大戦中にクリミア半島に進撃してきたドイツ国防軍に民族の一部が協力したとの疑惑から、ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリンはクリミア・タタール人全体をシベリアウズベクなど中央アジアへと強制追放し、その過程でクリミア・タタール人の約半数が死亡する事態となった。

第二次世界大戦後の世界情勢を決定づけたヤルタ会談が開催されたのは上述ヤルタのリヴァディア宮殿においてである。スターリン死後の1954年ソビエト連邦共産党第一書記ニキータ・フルシチョフによりクリミアはロシア共和国からウクライナ共和国へ両国の友好の証として割譲された。1991年にソビエト連邦は崩壊し、追放されていたクリミア・タタール人もクリミアへと帰還した。しかしソビエト連邦の崩壊後にウクライナがセヴァストポリに駐留する黒海艦隊の一部の所有権を主張したためロシアとウクライナの間に対立が発生し、クリミアではウクライナへの帰属を望まないロシア人住民を中心に分離独立を求める声が起こったが、最終的にクリミア自治共和国としてウクライナの一部となった[3]
ロシアによる併合詳細は「2014年クリミア危機」を参照
ウクライナ政変詳細は「2014年ウクライナ騒乱」を参照

2014年のウクライナにおける政変で親露派のヤヌコーヴィチ政権が崩壊し、親欧米派の暫定政権が発足したことに一部のクリミア住民が抗議し、親政権派と衝突。クリミア自治共和国最高会議(英語版)(議会)をロシア兵が制圧[注釈 3]し、内部の様子が不明なまま、クリミア自治共和国は「クリミア共和国」に移行するとの宣言が採択されたとの発表がなされ、暫定政権の支持を表明したアナトリー・モギリョフ(英語版)閣僚会議議長(首相に相当)は解任され、クリミア自治共和国最高会議における小政党「ロシアの統一党(英語版)」の党首であったセルゲイ・アクショーノフが首相に指名され、ウクライナ法に従わない形でアクショーノフ政権が発足したことが発表された[5]
住民投票詳細は「2014年クリミア住民投票」を参照

クリミア共和国議会とセヴァストポリ市議会はロシアへの併合を問う住民投票を3月16日に行うことを決定したが、領土変更は国民投票によってのみ議決することができるとウクライナ憲法第73条で定められており[6]、このためキエフの暫定政権や国際連合や日米欧G7をはじめとする国々・組織は住民投票の中止を訴え、結果を受け入れないと表明する一方[7][8]、ロシアは結果を尊重するとした[9]。投票5日前の3月11日にクリミアとセヴァストポリはウクライナからの独立宣言を行い、住民投票でロシア併合が賛成多数となれば即時に独立、ロシアへの併合を求めるとの内容を決議した[10]。これは、国際法上、当該国同士の合意なしに領土の帰属変更を行うことは認められない懸念があるため、独立宣言を行うことでウクライナからの分離を既成事実化し、独立国家としてロシアに併合されるための体裁を整えるためのものとされた[10]

住民投票は16日にウクライナ国内法に反する形で行われ、その結果、クリミア共和国中央選挙管理委員会は、クリミアとセヴァストポリの両方で9割以上の賛成票が投じられたと発表した。国際社会が早々に同住民投票を認めないと発表する中、ロシアは、この住民投票の結果に従って3月17日に両者はウクライナからの独立と、ロシアに併合を求める決議を採択した[11]
併合条約の締結条約に調印するロシア、クリミア、セヴァストポリの代表。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}クリミア共和国をロシア連邦に併合し、ロシア連邦に新たな連邦構成主体を設立することに関するロシア連邦とクリミア共和国との間の条約(ロシア語版)クリミア共和国およびセヴァストポリ特別市をロシア連邦に併合し、ロシア連邦に新たな連邦構成主体を設立するためのロシア連邦憲法条項

2014年3月17日、ロシアは「クリミア共和国」の独立を承認[12]。翌18日、ウラジーミル・プーチン大統領クレムリンにおいて上下両院議員、地域指導者、社会団体代表らの前で演説し、住民投票の投票率が8割を超えたことに触れ、投票は民主主義的な手続きに則ったものであり、国際法に完全に準拠した形で行われたとした。また9割以上がロシア併合に賛成したことは、十分に説得力のある数字だとも指摘した[13]。この結果を根拠とし、クリミアとセヴァストポリを新しい連邦構成主体としてロシア連邦に併合する関連法案の可決をロシア議会に求めて演説を終え[14]、引き続いてプーチンとクリミア首相のアクショーノフ、クリミア国家評議会(「最高会議」から改称)議長のウラジーミル・コンスタンチノフ、そしてセヴァストポリ特別市評議会議長のアレクセイ・チャリが、ロシアとクリミア共和国の二国間条約[注釈 4]の形式をとった「クリミア共和国をロシア連邦に併合し、ロシア連邦に新たな連邦構成主体を設立することに関するロシア連邦とクリミア共和国との間の条約(ロシア語版)[15])」に調印した[14]

プーチンはロシア併合を宣言した演説の中で次のようなことを述べている[16][17][18]

1954年にニキータ・フルシチョフがクリミアをロシアからウクライナに割譲したのは法的な根拠がなく、違法なものであった。

クリミア内のロシア系住民は脅威にさらされており、クリミアは強力な主権国家の一部でなくてはならない。それはロシア以外にはありえない。

ロシアはウクライナの分割を望まず、これ以上の領土的野心はない。

ウクライナの暫定政権は違法なものであり、これを認める西側諸国は偽善である。

西側諸国によるロシアへの制裁は打撃となるものではない。

ロシアは今後も、ウクライナに定住するロシア人、ロシア語を話す人々の利益を守る。

クリミアとセヴァストポリの併合に関する条約と関連法は3月20日、ロシア下院が443対1で批准[19]。翌21日にロシア上院で出席議員155人が全会一致で批准した[20][21]


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