ロココ様式
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モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールが描いたポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour)の肖像画(右図)が盛期ロココ時代の肖像画として有名。なおこの肖像画が油彩ではなくパステルで描かれていることに注目されたい。パステルの軽妙な色彩は多くの支持者を得、ラ・トゥールの好敵手とされたジャン・バティスタ・ペロノー、静物画で知られるジャン・シメオン・シャルダン、スイス生まれでトルコに赴いてその地の風俗を記録したジャン=エティエンヌ・リオタールもパステルで優作を残している。

サロンでの展示に対し美術批評がなされるようになったのもこの時代のことである。哲学者でもあるディドロはその批評で軽佻浮薄で官能的な刺激の強いブーシェやジャン=マルク・ナティエの作品を批判している。対して感傷的ではあるものの道徳的な教訓が強いグルーズの作品や、静物画や風俗画で活躍したシャルダンの質実な作品には好意的な評価を下している。

「女性の時代」とも呼ばれる18世紀のロココ時代だが、1783年にはフランス王立アカデミーに二人の女性が入会を認められた。アデライド・ラビーユ=ギアールエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランである。特に後者ヴィジェ=ルブランは王妃マリー・アントワネットの肖像画家としても知られ、そのよき理解者でもあった。宮廷の崩壊に立ち会ったという意味ではロココ最後の画家と言ってもよいだろう。

イタリア

ヴェネツィア共和国の最後の栄光の時代が訪れる。グランド・ツアー途中でヴェネツィアを訪れた外国人のために「ヴェドゥータ(都市風景画)」が多く描かれる。その代表はカナレットフランチェスコ・グアルディ、そしてベルナルド・ベッロット(カナレットの甥)である。またこの地を拠点とした画家として建築画で著名なパンニーニ、室内風俗画の名手ピエトロ・ロンギ、女流パステル画家ロザルバ・カリエラがいる。

18世紀を通じてヴェネツィア最大の巨匠とされるのはティエポロである。歴史画家グレゴリオ・ラッザリーニに絵画を学び、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタ、セバスティアーノ・リッチらとともにこの地を代表する画家となった。彼はイタリアで名声を得ただけでなく、ドイツからスペインに至る教会や宮殿の壮大なスケールの壁画の作成に従事した。それらは卓越したフレスコ画技法と華麗なるロココ式屋内装飾の生み出した傑作である。

ヴェネツィア出身でローマで活躍した版画家にジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージがいる。ピラネージは都市ローマの景観図で知られ、新古典主義の理論家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンにも大きな影響を与えた。しかし一方では人間の暗部を暴きだす「牢獄」シリーズに見られるようピラネージにはロココからロマン主義に流れる精神も息づいている。

ヨーロッパの戦禍から免れたイタリアではヴェネツィアだけでなく、その他の都市でも独特な作風の芸術家を生み出した。ナポリではナポリ派のバロックの掉尾を飾るフランチェスコ・ソリメーナの存在が大きい。ナポリ大聖堂の主要祭壇の絢爛さは比類がない。ナポリのロココ様式は彼の後継者であるフランチェスコ・デ・ムーラらによって発展したものである。

ジェノヴァを中心に活躍した画家にアレッサンドロ・マニャスコがいる。荒涼とした陰鬱な風景、亡霊のような修道士、廃墟への偏愛などを大胆な筆さばきで描いたイタリア的でない作風で知られるが、そうした奇想画「カプリッチョ」もこの時代の美術の一側面を表しているのである。

イギリス

長らく外国人画家によって指導されてきたイギリスの芸術界もこの時期大きく変貌する。その嚆矢となったのが「最初のイギリス人画家」とも呼ばれる
ウィリアム・ホガースである。ホガースは「当世風結婚」などの連作で諷刺画の分野で活躍した。また「カンヴァセーション・ピース(団欒画)」とも呼ばれるイギリス特有の集団肖像画のジャンルを開拓したのもホガースである。

こうした変化のもとイギリスにもロイヤル・アカデミーが設置され、ジョシュア・レイノルズが初代アカデミーの会長に選ばれた。レイノルズの理念は「グランド・マナー」と呼ばれ、歴史画を頂点とする以後のイギリス美術の模範となった。対してレイノルズのライバルであったトマス・ゲインズバラは肖像画や風景画で今までに見られないイギリス的な感受性を開花させた。この風景画の好みは後のコンスタブルターナーに引き継がれることになる。

啓蒙と理性の時代を反映して科学的な素材を美術に応用している例も見られる。「馬の解剖学」で知られるジョージ・スタッブスや「空気ポンプの実験」などの作品を残したライト・オブ・ダービー(ジョセフ・ ライト)はこうした時代精神に育まれた画家たちである。

ホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』(1764年)の刊行により18世紀後半のイギリスではゴシック小説が盛んに読まれた。こうした怪奇なものへの興味はスイス出身でイギリスで活躍したヨハン・ハインリヒ・フュースリーの「夢魔」(1781年)などにも反映している。「天国と地獄の結婚」(1790年頃)の作者であり、幻視者として知られる詩人画家ウィリアム・ブレイクの活躍も同時期のことである。

スペイン

ドイツ系でありながら国王
カルロス3世宮廷画家となったアントン・ラファエル・メングスは18世紀中盤の重要な画家の一人だが、その画風はロココというよりも新古典主義の先駆けといった趣がある。1760年代にそれぞれ画風の異なる、ロココ調の老大家ティエポロと、新古典主義の気鋭のメングスがマドリッドの王宮を舞台に競り合っていたことは興味深い。

メングスより後の世代に属すが、フランシスコ・デ・ゴヤの市井のマハ(伊達女)やマホ(伊達男)を描いた初期の作品にはロココ的な優雅さや軽快さを見ることができる。

ドイツ

三十年戦争以来の混乱からようやく1700年代に相対的安定期を迎えたドイツではカトリック教会を中心に大規模な教会建築の復興が行われる。この時期のドイツ芸術は特に「後期バロック」と呼ばれることが多く、絵画も教会や宮殿の装飾として発達したものである。ミュンヘンのアザム教会の建築と装飾・絵画を担当したアザム兄弟や、シュタインガーデン近郊のヴィース教会の建築と装飾・絵画を担当したツィンマーマン兄弟はその代表である。

彫刻
フランス

ジャン=アントワーヌ・ウードンはディドロ、ルソー、ヴォルテールらの啓蒙思想家たちの肖像彫刻で名をなした。

ロシア

「クロトナのミロ」で評判となったフランス人彫刻家エティエンヌ・モーリス・ファルコネ
はロシア女帝エカチェリーナ2世に招かれた。首都サンクトペテルブルクの元老院広場に設置された「ピョートル大帝像(青銅の騎士)」はファルコネによるものである。

工芸

ロココ様式はインテリアのデザインや装飾として出発し、建築などに波及していっためずらしい例である[1]
家具
フランス

1715年に幼いルイ15世が即位しオルレアン公フィリップ摂政となった。


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