1970年代のパンク・ロックに影響を受け70年代末から80年代前半には、ストレイ・キャッツやロバート・ゴードン、シェイキン・スティーヴンス、ブラスターズらを中心にしたネオロカビリー
(Neo Rockabilly)[7]のブームが訪れた。ネオロカビリーは短縮形で「ネオロカ」とも言う。またネオロカの流行にいち早く目をつけたクイーンが、「愛という名の欲望」(1980)を発売し、ビルボードの上位へ送りだしたりといった現象も見られた。日本で、1956年にいち早くエルビス・プレスリーをカバーしたのは、カントリー歌手の小坂一也だった。小坂のロカビリーは、ロカビリー三人男よりも2年早かった。1958年、カントリー・ミュージックのバンド「オールスターズ・ワゴン
」に在籍していた平尾昌晃がソロ・デビューし、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と共に「ロカビリー三人男」と称され「日劇ウエスタンカーニバル」などに出演、日本でロカビリー・ブームが巻き起こった。やがて和製プレスリーと呼ばれた尾藤イサオもデビューしている。他に佐々木功(後のささきいさお)、鹿内孝、鈴木ヤスシ、藤木孝、麻生レミ、スイングウエスト、内田裕也、かまやつひろしらも、ロカビリー、ロックンロール歌手としてデビューした。だが、60年代後半にはグループサウンズ・ブームに押され、ロカビリー、ロックンロールは退潮傾向となった。1958年に開始された日劇ウエスタンカーニバルに出演した、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎らの音楽やファッションに影響を受けたロカビリー族が登場した[8]。ウエスタンカーニバルや新宿コマ劇場のロカビリー大会『これがロカビリーだ』における女性ファンはカブリツキ族と呼ばれていた[9][10]。カブリツキ族は、週刊サンケイ(1958年/昭和33年)、実話雑誌などに記事が見られる。
1959年にはロカビリーの熱狂ファンを描いた小説『東京のプリンスたち』が登場し、同年にテレビドラマ化された。 その後1970年代には、オールド・スタイルのバンドとして矢沢永吉のキャロルがデビューし特に暴走族より支持を集め、その暴走族からクールスもデビューした[11]。 1976年、原宿にアメリカ50sファッション(フィフティーズ)のショップ クリームソーダ
第二次ブーム
1970年代末から80年代には、ネオロカビリー・ブームにより、50sファッションやコントラバスをスラップする演奏スタイルが見られた。BLACK CATSやヒルビリー・バップス等のバンドが登場し、オールディーズ・グループ、ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」がヒットした。 2005年、湯川れい子・小野ヤスシ・高田文夫らにより、「全日本ロカビリー普及委員会」が発足。その会長にロカビリー・シンガーのビリー諸川[注 10]が就任した。
その後
代表的なミュージシャン
ロカビリー(1950年代)
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ[15]、エルヴィス・プレスリー[注 11]、ジェリー・リー・ルイス[注 3]、カール・パーキンス[注 12]、ジーン・ヴィンセント[注 4]、エディ・コクラン、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ジョニー・キャッシュ、ジョニー・バーネット・トリオ、ロイ・オービソン、タヒール・スリム、ソニー・バージェス、カール・マン、ウォーレン・スミス、ワンダ・ジャクソンなど。
ロカビリー(1960年代末?70年代)
シャ・ナ・ナなど。
ネオ・ロカビリー
ロバート・ゴードン、ストレイ・キャッツ、ブラスターズ