ロイヤル・オーク_(戦艦)
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^ 戦艦としては1894年に竣工したロイヤル・サブリン級戦艦の「ロイヤル・オーク」に次いで2隻目となる。
^ 英國戰艦「ローヤル・オーク」改造報告 海軍造船大技士 田路坦[19] 先ニ英國軽装甲巡洋艦「クレオパトラ」ノ報告ニ述ベシ如ク英海軍ニ於テハ北海警巡ノ急ヨリ軽装甲巡洋艦ノ急成ニ全力ヲ注ギ從テ本艦級戰艦ハ著シク其工程遅延シ起工後約二年ヲ経ルト雖モ未ダ其完成ノ域近シト云フベカラズ(以下略)
^ 姉妹艦「リヴェンジ」は第1戦艦戦隊に所属していた[10]
^ 上官の命を拒み 少将大佐中佐停職處分 英國艦隊演習中の事件[11]【ロンドン十六日發電】確報に依れば目下オーストラリヤ、アルバトロス島附近で英國大西洋艦隊と演習に從事中の英國地中海艦隊の旗艦ローヤルオーク號内に上官の命令に對する抗拒事件起り、一味の中には二名の士官も加はつて居ると、而して右二士官は目下護衛をうけずして歸國の途にあり、一味に對する罪科の如何も判明してゐないと/【ロンドン十六日發電】英國地中海艦隊旗艦戰闘艦ローヤルオーク號の謀叛事件につきコラード少将、デワール大佐、ダニエル中佐はモルタ島に於て査問會議を開いた結果停職處分に處せられた旨發表された、而して事件はローヤルオーク號にジャズバンドを設けるや否やに關しコラード少将は同艦軍樂隊長と爭ひを起こしたが、艦隊司令長官キース大将は軍樂隊長の主張を支持して多數将校の面前に於てコラード少将の主張を退けたため面倒な結果を惹起したものであると(記事おわり)
^ オーク號事件で問題の艦長[26](二十四日倫敦發)英國軍艦ローヤル、オーク號の司令官排斥問題で査問會議に附せられた同號艦長は巡洋戰艦タイガー號の艦長に任命された。(記事おわり)
^ a b オーク撃沈を獨當局確認[32](十五日ベルリン發東方)ドイツ軍司令部では十五日英國主力艦ロイヤル・オーク號を撃沈せる旨發表、英國の發表を確認した(記事おわり)/英艦レ號大損傷か(十六日ベルリン發ルーター)ドイツ海軍當局發表、先に英主力艦ロイヤル・オーク號を撃沈せる潜水艦は更に巡洋戰艦レパルズ號に魚雷を發射して大損害を與へたり(同上)英海軍省では右の報に對し例の宣傳ならんと稱してゐる(記事おわり)
^ 南大西洋で奮戰した英國艦ヱ號本國歸還[34]【プリスマス(英國)十五日AP】(中略)尚ほ昨年十月スカパヽフローに於て撃沈した英國戰闘艦ロイヤル・オーク號と時を同じくして撃沈した旨ドイツ側の主張してた英國戰闘巡洋艦リパルス號は修理の爲め當地に到着して居る(記事おわり)
^ 獨海軍の至寶プ少佐戰死す[35](ベルリン廿三日同盟)今次大戰勃發とともに潜水艦長として英國近海に出動 一昨年十月スカパ、フローの英海軍根據地に潜水して主力艦ロイヤル・オーク號及び巡洋戰艦リパルス號を撃沈した獨海軍の至寶ギュンター・プリーン少佐は二十三日の獨軍發表によつて戰死を確認された(記事おわり)
^ 後日、プリーン艦長は少佐に進級した[35]
^ (パレード中のプリーン艦長の写真)[38] Berlin gives Lieut. Commander Guenther Prien, commander of the submarine which sank the British warship, Royal Oak, with the loss several hundred lives, a he ro's welcome as he returns to the city and parades down the Wilhelmstrasse. The picure is a radiophoto.(記事おわり)
^ イギリス海軍の大型艦としては、開戦直後の9月17日にU29の雷撃で沈没した空母カレイジャス」に続いて[39]、2隻目となる[4]
^ 他は、1941年11月25日にドイツ海軍のU331(英語版、ドイツ語版)によって撃沈されたイギリス戦艦バーラム (HMS Barham) 」[40]、1944年11月21日にアメリカ海軍の「シーライオン (USS Sealion, SS-315) 」によって撃沈された日本海軍戦艦金剛[41](イギリス、ビッカース社建造)[42]

出典^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 48?49イギリス/ロイヤル・サブリン級

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