構造は、ジェセル王の階段ピラミッドや大キュロスの墓のような古代の霊廟からのいくつかの要素を参考にしている。
ソ連時代にはレーニン廟に付いているパレード専用の観覧席が政府幹部のパレード観覧に使われた。この観覧席はソ連崩壊後、1996年まで使われたが、1997年以降は廟の前に仮設のひな壇が設置され、観覧席としての役目は終えている。
1983年には廟の後ろにエスカレーターが付けられており、現存している。このエスカレーターは1983年、ブレジネフら高齢化した政府幹部を霊廟の観覧席まで送るために作られたが、1982年にブレジネフが死去したことにより、ブレジネフが使うことはなかった。アンドロポフ以降、1995年までこのエスカレーターが政府幹部を霊廟観覧席まで運ぶために使われた(1996年は、政府幹部は霊廟正面の階段から観覧席に行ったため、エスカレーターは使われていない)。ロシア政府は、2012年に行われた改装工事の第二段階として、このエスカレーターの撤去を行うと発表しているが、2022年現在エスカレーターは撤去されていない。
レーニンの遺体の安置室まで続く階段はラブラドル長石で作られ、非常に暗い。安置室は正方形で、上に照明がある。 ソ連時代に開催されたパレードと90年代ロシアの2回のパレードでは、レーニン廟は政府高官の観覧席となった。この観覧席が最初に使われたのは1937年メーデーパレードで、最後に使われたのがソ連崩壊後の1996年に開催された対独戦勝51周年記念パレード 2012年12月末には、著しく老朽化が進んだレーニン廟の本格的改修を行うことが決定し、2013年4月まで改修工事が行われた[8]。 1993年10月6日まではレーニン廟の入口にも衛兵が立っており、クレムリンの鐘の音に合わせて1時間毎に交代をしていたが、現在ではそういった光景は無くなっており見ることが出来ない。レーニン廟におけるクレムリン連隊時代の衛兵。(1990年) レーニン廟の影響をうけ、いくつかの共産主義国家などで指導者の遺体が永久保存処理され、これを安置する廟がつくられている。エンバーミング#エンバーミングされた著名人も参照。
軍事パレード
改修
1924年5月に完成した初代の木造のレーニン廟[1]を訪れるソ連市民、1925年。
「レーニン・スターリン廟」時代の1957年。
レーニン廟の壇上で宇宙飛行士(左から、ガガーリン、ポポーヴィチ、テレシコワ)と談笑するフルシチョフ、1963年。
レーニン廟前で演説するプーチン大統領、2001年。
影響
現在も設置されているもの
ベトナム ホー・チ・ミン廟
中国 毛主席紀念堂
北朝鮮 錦繍山太陽宮殿
現在は撤去されたもの
モンゴル スフバートル廟 2004年遺体撤去、2005年施設解体。
ブルガリア ディミトロフ廟
チェコスロバキア ゴットワルト廟
なお、キューバのチェ・ゲバラ霊廟は、チェ・ゲバラが1967年にボリビアで戦死したため、例外的に遺体そのものを欠いた形で出発した。他の施設が首都の中心部に建てられたのに対し、ゲバラゆかりの地サンタ・クララに建てられた点も独特である。その後1997年にゲバラの遺骨がボリビアから返還され、これが納められた。
今日、観光客が廟内を訪れる際、敬意を示さなければならない他、写真撮影、会話、喫煙、手をポケットに入れる事、帽子を被る事は禁じられている[9]。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e Tumarkin, Nina (1997). Lenin Lives! The Lenin Cult in Soviet Russia (enlarged ed.). Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. pp. 191?194. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-0-674-52431-6