レーザー
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パルスレーザーは、時間分解分光非線形光学、またレーザー核融合などの分野で重要な道具である。レーザーを用いた応用物理研究分野などでは、ボーズアインシュタイン凝縮へパルスレーザーを使用することで、数論上の方程式を物理実験具現化することに成功している。フェムト秒のパルス光を発振させる為に連続光からパルス発振へ変換させるミラー(共振器内部の鏡)に半導体可飽和吸収ミラー(SESAM)を用いたレーザーも使用されている。

高分離解析時間、高分解性能の利得を応用しながら必要な出力を保つため、フィードバック制御機能が追加されないシンプルな媒質として欧米ではSESAMを用いたシンプルなレーザーへのさらなる応用と研究が期待されている。連続光を反射せず、ある程度保持して溜めてから出すというSESAMの特性はパルスレーザーに物理的消耗変化として現れる。この場合、放熱管理がレーザー自体の寿命と利得を左右する。
歴史
基盤となる理論

1917年、アルベルト・アインシュタインの論文 Zur Quantentheorie der Strahlung(放射の量子論について)がレーザーとメーザーの理論的基礎を確立した。アインシュタインは、電磁放射の吸収、自然放出、誘導放出についての確率係数(アインシュタイン係数)に基づいて、マックス・プランクの輻射公式から新たな公式を導き出した。

1928年、Rudolf W. Ladenburg は誘導放出および負の吸収という現象が存在することを確認した[2]

1939年、Valentin A. Fabrikant は誘導放出を使って「短い」波長を増幅できる可能性を予言した[3]

1947年、ウィリス・ラムとR. C. Retherfordは水素スペクトルに明らかな誘導放出を発見し、誘導放出について世界初のデモンストレーションを行った[2]

1950年、アルフレッド・カストレル(1966年ノーベル物理学賞受賞)は光ポンピング法を提案し、数年後に Brossel、Winter と共に実験で確認した[4]
メーザー詳細は「メーザー」を参照

1953年、チャールズ・タウンズは、大学院生の James P. Gordon と Herbert J. Zeiger と共に世界初のマイクロ波増幅器を開発し、メーザーと名付けた。この装置はレーザーと同様の原理に基づくが、赤外線や可視光線ではなくマイクロ波を増幅するものである。ただし、タウンズのメーザーは連続出力ができなかった。

同じ頃、ソビエト連邦ニコライ・バソフアレクサンドル・プロホロフが独自に量子振動について研究し、2つのエネルギー準位を使って連続出力可能なメーザーを開発した。

これらのメーザーシステムは基底状態に落ちることなく誘導放出でき、したがって反転分布になっている。

1955年、プロホロフとバソフは反転分布を作り出す手段として多準位系の光ポンピング法を示唆し、それが後にレーザーポンピングの主な手法となった。

1964年、タウンズ、バソフ、プロホロフは「量子エレクトロニクスの分野に基本的な貢献をし、メーザー・レーザーの原理に基づく発振器と増幅器をもたらした」としてノーベル物理学賞を受賞した。

タウンズは、ニールス・ボーアジョン・フォン・ノイマンイジドール・イザーク・ラービポリカプ・クッシュらがメーザーは理論的に不可能だと反対していたことを明かしている[5]
レーザー

1957年、ベル研究所に勤めていたチャールズ・タウンズとアーサー・ショーローは、赤外線レーザーを真剣に研究し始めた。研究が進むと彼らは赤外線をやめ、可視光線に集中するようになった。当初この概念は「光学メーザー」と呼ばれていた。

1958年、ベル研究所は光学メーザーについての特許を出願。同年、ショーローとタウンズはフィジカル・レビュー誌に光学メーザーの理論計算の原稿を送り、それが掲載された(Volume 112, Issue No. 6)。このとき取得された特許が、レーザーに関する基本特許となっている。

1958年、プロホロフも独自に開放共振器の使用を提案し、ソ連国内でそれを発表した。

この頃、コロンビア大学の大学院生ゴードン・グールドは、励起したタリウムのエネルギー準位についての学位論文を書いていた。グールドはタウンズと会って電磁放射の放出について話し合い、1957年11月に、"laser" や開放共振器のアイデアについてノートに書いていた。

ベル研究所では、ショーローとタウンズが開放共振器を使ったレーザーの設計で合意に達していた。このとき、彼らはプロホロフの発表も、グールドの未発表のアイデアも知らなかった。

1959年の学会で、ゴードン・グールドは論文 The LASER, Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation の中で初めて LASER という言葉を公けにした[6][7]。グールドは、マイクロ波が "maser" なら、同様の概念には全て "-aser" を後ろにつけ、光 (light) なら "laser"、X線なら "xaser"(ゼーザー)、紫外線なら "uvaser" (ユヴェーザー)と呼ぶことを想定していた。しかし、レーザー (laser) 以外の用語は定着しなかった。

グールドのノートにはレーザーの用途として、分光法干渉法レーダー原子核融合などが書かれていた。彼はその考えを発展させ、1959年4月に特許を出願した。しかし米国特許商標庁はグールドの出願を却下し、1960年にベル研究所に特許を与えた。そのため、28年におよぶ訴訟となった。グールドは1977年にマイナーな特許で勝利を勝ち取ったが、光ポンピングとガス放電を使ったレーザー装置についての特許をグールドに与えることを法廷が特許庁に命令したのは1987年のことだった。

1960年5月16日、カリフォルニアのヒューズ研究所のセオドア・メイマンが、コロンビア大学のタウンズやベル研究所のショーロー[8]やTRG (Technical Research Group) のグールドに先駆けて、最初のレーザー発生装置を開発した[9][10]。メイマンのレーザー装置は、ポンピング用の閃光放電管で合成ルビーを励起させるルビーレーザーであり、694ナノメートルの波長の赤い光を発生させる。しかし3準位レーザーであるため、パルス発振しかできなかった。

直後にイラン人物理学者 Ali Javan と William R. Bennett、Donald Herriot が、ヘリウムネオンを使った初のガスレーザーを開発した。Javanは1993年にAlbert Einstein World Award of Scienceを受賞した。

また、ボソフとJavanは量子振動子による半導体レーザーの概念を提案した。

1962年、Robert N. Hall がヒ化ガリウムを使った半導体レーザー素子を開発し、850ナノメートルの近赤外線レーザー発生に成功した。直後にニック・ホロニアックが可視光の半導体レーザーの実験に成功した。初期のガスレーザーと同様、初期の半導体レーザーはパルス発振しかできず、液体窒素で冷却する必要があった。

1970年、ソ連のジョレス・アルフョーロフ、林厳雄、ベル研究所の Morton Panish がそれぞれ独自に常温で連続発振できるヘテロ接合構造を使った半導体レーザー素子を開発した。

1985年、チャープパルス増幅(Chirped Pulse Amplification ; CPA)法[11]が提案された。これにより、原子、分子内の電子が核から受ける電場以上の高強度レーザーの発振が可能となった。
種類
媒質による分類

レーザーは媒質(誘導放出を起こす物質)によっていくつかの種類に分けられる。
固体レーザー
詳細は「
固体レーザー」を参照媒質が固体であるものを固体レーザーという。通常、結晶を構成する原子の一部が他の元素に置き換わった構造を持つ人工結晶が用いられ、代表的なものにクロムを添加したルビー結晶によるルビーレーザーや、YAG結晶中のイットリウムを他の希土類元素で置換した種々のYAGレーザーがある。ネオジム添加YAGを用いたNd:YAGレーザーは波長が1064nmの赤外線を発する。


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