レーザーディスク
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メインとなった映画ソフトは製造コストや版権料から7,000円 - 1万円前後の価格設定で発売されていたが、1980年代終盤からパイオニアLDCが中心となって「エバーグリーンシリーズ」「ブロックバスター」などと称して5,000円を切る価格帯で次々と人気ソフトを発売するようになる。一方でテレビアニメなどのシリーズ作品を複数枚のLDに全話収録して一括販売する「LD-BOX」というボックス・セット形態の高額商品や、OVA、歌手のライブビデオも数多く発売され、コアなファンマニアを取り込んでユーザー層を拡大させていった。

1992年平成4年)頃からは、それまでの映画ソフトで主流だった画面のトリミングをやめ、できるだけ劇場公開時の画面サイズに忠実なワイドスクリーンサイズの画面で映画ソフトを次々に発売して映画マニアを中心にユーザー層を厚くした。1本の映画をワイドスクリーンとテレビサイズの2パターンの商品で発売するなどマニアックなラインナップがなされたものも多い。これらの中には、DVD-Videoで発売されているソフトでは見ることができない画面サイズのものもあった。同じ映画ソフトが何種類も発売されていることから当時の一般的ユーザーを混乱させる副作用も生ずるなど、1980年代から1990年代前半までを最盛期としてユーザーを拡大した。多くの映画、音楽ドキュメンタリーアニメスポーツ、そのほか各種のコンテンツがLDで発売された。

ハイターゲット向けアニメ作品のLD市場も大きく、VHSとの同時販売が原則であった。1991年に発売された『炎の転校生』(ポニーキャニオン)のOVA版のみ唯一LDの独占販売という例外的な措置から初めたため、オリジナル・レーザー・アニメーションの略語である「OLA」が用いられている。一定数の売上を得られ、LDプレーヤーもある程度は普及したものの、レンタルビデオ版の流通ができないなどVHS視聴で充分なライトユーザーを囲い込みできず、結局は1992年にVHS版(セル・レンタル同時)も発売されることになった。パイオニアLDCが製作・発売し、VHS版と同時発売されたOVA『天地無用!』や『神秘の世界エルハザード』もLDユーザーを意識した高品質な画風とクオリティであった。なお、また、レーザーディスクと同時期に発展したアダルトアニメはハイターゲット層からの指示が厚い『くりいむレモン』シリーズを中心にVHSとLDとの併売が多く見られたが、アダルトビデオヤンキー漫画原作としたOVAはレンタルビデオでの流通が主のため、VHS版単独と比べてLD版も含めて発売されたタイトルは少数であった。童話原作作品やエデュテインメント映像や宗教団体広報的に製作したものを主とし、低予算製作・低価格販売が基本的な子供向けOVAもLDも含めての発売は殆ど行われていなかった。

パイオニアはレーザーディスクのマルチメディア化も志向し、LDのデジタル音声領域にCD-ROMと同様のデジタルデータを記録した「LD-ROM」によるレーザーアクティブを投入した。業務用としてはレーザーバーコードシステムと連携したLD-V540などが投入され、産業用・教育用などで利用されていた。1980年代にパイオニアが自社パソコンとして発売していたMSXパソコン「palcom」PX-7などとの連携でLDゲームをプレイできたが、これはLDのデジタル音声規格が策定される以前から存在していたものであり、LD-ROM規格とは異なる。後にパイオニアはMacintosh互換機MPCシリーズを販売し、対応したLDプレーヤーCLD-PC10を発表したが、LD-ROMとの連携はほとんど重視されなかった。
カラオケ業界への進出

1982年(昭和57年)にパイオニアによって業務用カラオケの市販が開始され、スナックバー (飲食店)など酒場を中心に8トラックテープなどの音声と歌本を組み合わせたカラオケに代わって大ヒットとなり、レーザーディスクに関するビジネスの中心となった。人気曲が繰り返し再生されるカラオケは、ランダムアクセスによる頭出し再生に優れる点とディスクの摩耗が発生しない非接触式ピックアップの特徴が特に生きる分野だった。既にVTRカラオケのソフトを発売していた東映芸能ビデオが既存コンテンツをLD化したのをはじめ、テープカラオケの販売大手だった第一興商やJHC(1996年(平成8年)倒産)がソフトの供給を開始し、他社も参入した[6]。また、チェンジャーデッキを使ったシステムや、複数台のチェンジャーを使って複数の個室に映像を配信するシステムも開発された[6]。カラオケLDソフトの出荷金額がピークになったのは1990年(平成2年)の982億円(この年のLDソフト全体の出荷金額は1,357億円、カラオケで全体の72%を占めた)、LDソフト全体の出荷金額のピークは1991年(平成3年)の1,361億円だった[6]
衰退

一般家庭用のLDソフトは販売専用という戦略をとり、1993年に解禁されるまではレンタルは全面禁止[注釈 3]であり、可処分所得が高い者向けの嗜好品とみなされてVHSやDVDビデオのように幅広く普及はしなかった[7]。そのため、子供向けのビデオソフトは映画や童謡などのカラオケ、学習教材を除いてほとんど発売されなかった。

業務用カラオケの分野においてはカラオケボックス[注釈 4]やカラオケルームの登場で客層の若年化が進むにつれ、新曲配信のスピードが重要視されるようになり[9]1991年(平成3年)のバブル崩壊に伴う景気悪化により酒場での需要が減った。1992年(平成4年)には、ISDNを用いた通信カラオケJOYSOUNDエクシング)が登場した[10]。これにより、LDカラオケの欠点である「かさばる」「(オートチェンジャーがない場合の)ディスクの取り換えが面倒」「新曲収録までに時間がかかる」という問題が解消され[11]、新曲リリースからLD化までに1 - 2ヶ月かかるLDカラオケは苦戦を強いられるようになっていった[6]

発売されるソフトの種類と量が増える一方で、生産ラインの少なさが次第に影響し始めた。1994年 - 1995年頃には、一部の人気商品を除いてほとんどの商品が初回ラインのみの生産で終了するようになり、発売と同時に販売元品切れとなるソフトが続出。新譜として発売された月に廃盤で入荷不可という奇妙な商品も相次いで出現した。需要に供給が全く追いつかない状態となる一方で、それまでは高額だったビデオテープソフトの低価格化と安定供給が進み、ユーザーのLD離れが始まった。なお、アニメLDソフトでは1980年代後半の時点でここで述べられたような供給体制の不備が一部のビデオ雑誌で指摘されていた[要出典]。レーザーカラオケと一緒に粗製乱造され、画質マニアのLD離れも衰退の要因となった。

やがて1996年(平成8年)にCDと同じ12cmサイズのDVD-Video規格(DVDビデオ)が登場した[4]。最初期のソフトラインナップはLDと同じく、ディスクメディアのポテンシャルを引き出すための高品質なオーケストラコンサートBGV、代表的なブロックバスター作品というバリエーションであり、出足が鈍かった。しかし1997年にはパイオニアLDCやバンダイビジュアルなどがOVADVDをLDと併せて発売するようになり、1998年より洋画作品をLDで数多く発売していたパイオニアLDC(2000年頃までタッチストーン・ピクチャーズ系中心)やソニー・ピクチャーズ(当初よりコロムビア映画の他、ビデオソフトでCIC・ビクター ビデオが販売元だったユニバーサル映画作品のDVDソフト販売元にもなっている)、ワーナー・ホーム・ビデオといった洋画メジャー系のコンテンツを中心に、比較的廉価な価格帯で充実したソフトを発売するようになった。例えばブロックバスター作品の場合、LDソフトでは一作品5,000円 - 8,000円程度の価格帯が主流だったのに対し、DVDソフトは当初でも3,900円 - 6,000円程度だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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