レミオロメン
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レミオロメン
出身地
日本山梨県東八代郡御坂町
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J-POP[1]

ポップ・ロック[2]

活動期間2000年 - 2012年
レーベル

DAIZAWA RECORDS(2003年)

SPEEDSTAR RECORDS/浮雲レーベル(2003年 - 2008年)

OORONG RECORDS(2009年 - 2012年)

共同作業者

小林武史(共同プロデュース)

トーレ・ヨハンソン(共同プロデュース)

公式サイトRemioromen OFFICIAL SITE

メンバー

藤巻亮太ボーカルギター

前田啓介ベース

神宮司治ドラムス

レミオロメン(英語: Remioromen)は、日本スリーピースロックバンド。2000年結成。2012年より活動休止。略称は「レミオ」。
概要

バンド名は、メンバーでジャンケンをし、勝った順に1文字、2文字、3文字好きな文字を選び繋げたものである。藤巻はイギリス出身のロックバンドレディオヘッドが好きなことから「レ」、神宮司は当時の彼女の名前と自分の名前の頭文字をとって「ミオ」、前田は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の表紙に描かれている路面電車から「ロメン」を取り、それらを繋げて「レミオロメン」とした[3]

メンバー3人とも山梨県出身で2005年12月から3年間、県の観光大使にも任命された。富士の国やまなし観光ネットでは彼らのゆかりの地を公開している。

初期はスリーピースバンドの形をとっていたが、2005年の『南風』リリース以降の楽曲は必ずしも完全なスリーピースではなく、他の楽器をプラスし収録している楽曲も少なくない。同じく、ライブでもキーボードやサポートギターが加わる場合が多く、様々な曲調の楽曲を演奏可能になっている。

2011年を最後に活動が止まり、藤巻のソロ活動が発表された中で2012年2月1日にバンドとしての活動休止が公式アナウンスされた[4]

2009年のOORONG設立・移籍時に、OORONG RECORDSで全アルバムが再発されたが、活動休止中に所属者がいなくなった事でOORONG RECORDSが消滅したため全シングル、アルバムが生産終了となった。音楽配信においては2014年頃からはSPEEDSTAR RECORDSへと権利を戻して配信されていた。2019年の全曲サブスクリプション解禁時には権利はOORONG-SHA名義へと移行した。

2018年5月31日をもって藤巻が烏龍舎を離れた。
メンバー

名前パート生年月日出身地
藤巻亮太ボーカルギター作詞作曲 (1980-01-12) 1980年1月12日(44歳)山梨県東八代郡御坂町
前田啓介ベース、作曲、編曲 (1979-09-11) 1979年9月11日(44歳)
神宮司治ドラムス (1980-03-05) 1980年3月5日(44歳)

略歴

3人とも山梨県東八代郡御坂町(現笛吹市)出身。小・中・高の同級生である。高校生(3人とも山梨県立石和高等学校〈現、山梨県立笛吹高等学校〉に進学。前田のみ中退)時代、3人はブラスバンド部に所属し(藤巻がトロンボーン、前田と神宮司はパーカッション)、部として山梨県大会銀賞という成績を残すが、文化祭などのためにすでに組んでいたレミオロメン(当時のバンド名は「おさむさんバンド」)の活動に専念するため退部。その後、進学などにより一旦解散。
2000年


12月6日、当時大学3年生で就職について考えていた藤巻は音楽活動を諦められずスタジオミュージシャンだった前田に相談。そこで2人で音合わせをして藤巻は音楽活動を決意。藤巻と前田が、当時看護学校に在学していた神宮司を呼び寄せ、「大空」のデモテープを聞かせ、ドラムに誘った[5][出典無効]。

2001年


本格的にライブ活動を開始。下北沢のライブハウスと山梨を往復する日々が続いた。

2002年


3人の地元の神社、埋草神社の母屋(当時空家だった)を知り合いから格安で借り、ライブのリハーサルや作曲(朝10時に集まり午前中練習をし、昼食を家で食べ、1時集合、5時まで練習)を行い、約1年をここで共に過ごした。後に、この時期のことを「神社時代」と呼ぶようになった。ちなみに、神社時代で最初に作った曲は1stアルバムの『朝顔』などに収録している「まめ電球」。母屋の一室を練習スタジオにするためにメンバーで防音用に毛布などを天井や壁全面に釘で打ち付け貼っていたが、防音効果はゼロに等しかった。2003年4月20日行われた神社を清掃・旅立つ模様を映したテレビ番組内で前田は「近所のおっちゃんに『新曲覚えたよ』って言われますからね」と防音効果がなかった旨のエピソードを明かしている。フェスタに収録された多くの曲はこの神社のスタジオで生まれた。

2003年


3月12日、DAIZAWA RECORDSよりミニアルバム『フェスタ』でインディーズデビュー。神社からの風景写真がジャケットになっており、その他にも母屋室内で撮影された写真も使われている。

4月20日、上述の神社母屋の清掃を行い、この日を境に東京へと拠点を移すことになる。また彼らの門出を祝うため、引越しを手伝うために多くの地元の友人が集まった。なお、この日の模様はフジテレビ721の番組「ELVIS」にて放送されている。1年間1度もゴミを出さなかったため1年分のゴミがまとめて出された。

5月21日、DAIZAWA RECORDSより1stシングル『雨上がり』をリリース。同日19時30分から1時間、タワーレコード渋谷店にてリリース記念のインストアライブが行われた。

6月2日、烏龍舎SPEEDSTAR RECORDSと契約を結んだと発表される。

8月3日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2003に初出演。メジャーデビュー前にもかかわらず、最終日LAKE STAGEのトップバッターを務めた。

8月20日、シングル『電話』でビクターエンタテインメントよりメジャーデビュー。

11月19日、メジャー初のアルバム『朝顔』を発売。発売当時、音楽業界の一部で流通し始めたコピーコントロールCDとして発売されたためにリスナーの一部で不満の声が上がった。本作はビクターのK2技術が用いられているが、この技術はCD作成時の意図されない劣化を防ぐもので、コピーコントロールCDは、再生に関わる意図的に入れられた情報によって、正規音楽CDにくらべ音質が悪くなるという評価をされていた。のちにSPEEDSTAR RECORDS,OORONG RECORDS二社によって本作が再発売された際には正規音楽CDとして発売されている。

11月25日、SHIBUYA-AXにて初のワンマンライブを開催。

2004年


3月9日、シングル『3月9日』を発売。


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