レディオヘッド
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オンド・マルトノ
ストリングス
コリン・グリーンウッド
英語: Colin Charles Greenwood) (1969-06-26) 1969年6月26日(54歳)
イングランド オックスフォードベース
サンプリング[注 1]
エド・オブライエン
英語: Edward John O'Brien) (1968-04-15) 1968年4月15日(56歳)
イングランド オックスフォードギター
サンプリング[注 1]
コーラス
フィル・セルウェイ
英語: Philip James Selway) (1967-05-23) 1967年5月23日(56歳)
イングランド オックスフォードシャードラムス
パーカッション

来歴メンバーが通っていたアビンドン・スクール

オックスフォード郊外のアビンドン=オン=テムズにある男子全寮制パブリックスクールのアビンドン・スクールでメンバー5人は出会う。それぞれ別のバンドで活動したのち、1985年に「オン・ア・フライデー(英語: On A Friday)」というバンドを結成。ジョニー以外のメンバーはスクールを卒業後オックスフォードを離れ、バンドは解散状態になる。

1991年、大学を卒業したメンバーがオックスフォードに戻り、バンドを再結成する。同年にEMI傘下のパーロフォンとメジャー契約し、バンド名をレディオヘッドに変更する。1992年にEP『Drill』でメジャーデビュー。翌年、1stアルバム『パブロ・ハニー』からのシングル『クリープ』が若者から熱烈な支持を受け、世界的なヒットとなる。この当時はUSオルタナティヴ・ロック、UKシューゲイザーなどの影響が頻繁に語られるような、トリプルギターにベース、ドラムという比較的オーソドックスなロックバンドであった。

ギターロックをより押し進めつつもアコースティックソングやサイケデリック・ロックからの影響を昇華した2ndアルバム『ザ・ベンズ』(1995年)により、人気を不動のものとする。この作品からプロデューサーのナイジェル・ゴッドリッチと組むようになる。

この頃から次第にロックミュージック以外の音楽と接近していき、メンバー各自が様々な楽器を使い分けるようになる。1996年明けには映画音楽・サイケデリック・トリップ・ホップなどからの影響をシングルのB面や限定シングルカット「Lucky」などに表出し始め、1997年にはそれらの実験的な試みの結晶ともいえる3rdアルバム『OK コンピューター』(1997年)を発表。このアルバムは全世界で大きな評価を獲得し、1990年代のポップ・ミュージックを代表する金字塔としばしば評される出世作となる。

アルバムの世界的な成功により名声を得たメンバーだったが、評価を得たそれらのサウンドを捨て去り、当時ポップミュージックの分野ではほぼ手つかずのジャンルであったエレクトロニカ・現代音楽などに大きく傾倒。長いスタジオ作業の果てに「商業的自殺」[2]とも言われた4thアルバム『キッド A』(2000年)を発表し、大方の予想を裏切り再度成功を収める。実験的な電子音楽とバンド・サウンドを融合させ、前作『OK コンピューター』からの劇的な変化を遂げた作品となった。

翌年には『キッド A』と同時期に制作された5thアルバム『アムニージアック』(2001年)を発表。1920年代のスウィング・ジャズを取り入れるなど、ジャンルに捕われない音楽性をより明確にした。同年に初の公式ライブアルバム『I Might Be Wrong - Live Recordings』を発表した。

6thアルバム『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』(2003年)では、これまでの実験性を包括したうえで改めてバンドサウンドに立ち返った。このアルバムを最後にEMIとの契約を終了。契約金額で折り合わなかったことが理由と報じられている[3]。同年、ジョニーが初のソロ作品としてテレビ・ドキュメンタリー『Bodysong』のサウンドトラックを発表。翌2006年にトムが初のソロ・アルバム『ジ・イレイザー』を発表。

2005年から新作に向けた活動が再開され、2006年には欧米でのツアーも行われた。2007年10月1日、突然公式ブログにて7thアルバム『イン・レインボウズ』を発表。期間限定の専用サイトを通じ、MP3形式で先行ダウンロード販売が行われた。購入価格は買い手が自由に決める方式となっており[4]、話題になった。同時に、豪華版のディスクボックス(ダウンロード版と同内容のDisc1にDisc2を加えた2枚組CD、同内容のアナログ盤2枚、ブックレット、化粧箱で構成される)も40ポンド定額でリリースされ、2007年12月3日より発送開始となった。その後、TBDレコード(北アメリカのみ)、ホステス・エンタテインメント(日本のみ)、XLレコーディングス(それ以外の全世界)と契約し、通常のCDフォーマットでもリリースされた(内容はダウンロード版、豪華版Disc1と同様)。

2008年に初のベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ』と同タイトルのベストDVDをリリース。バンド自身は曲順やアートワークなどの制作全般に関わっておらず、EMIが残されたアルバム契約を消化するために行われた。

2009年より、トムがレッド・ホット・チリ・ペッパーズフリー、ナイジェル・ゴッドリッチらと共に新バンド「アトムス・フォー・ピース」(ソロ・アルバムの曲名が由来)を結成。セットリストはソロアルバムの曲を中心に、他バンドのカバーや新曲をちりばめたようなもので、各所でライブを精力的に行っている。

2010年よりフィルがソロ・アルバム『Familial』を発表。また、フジロックフェスティバルにアトムス・フォー・ピースが出演した。

2011年2月14日、突如公式サイトにて8thアルバム『ザ・キング・オブ・リムズ』の完成を発表。専用サイトにて、アルバムダウンロード(MP3又WAV)と豪華版ニュースペーパー・アルバムの予約受付を開始した。7月4日には『ザ・キング・オブ・リムズ』のリミックスシリーズの発売が決定。完全生産限定12インチ・アナログシングル(輸入盤のみ)と、デジタル・シングルでの発売となる。「リトル・バイ・リトル」と「ロータス・フラワー」のリミックスが収録された。

2011年春、2013年夏、2015年夏と断続的にスタジオ入りが報じられており[5][6]、ジョニーはインタビューで新作には未発表曲の「Lift」が収録される予定だと答えている[7]

2015年、映画『007 スペクター』の主題歌候補として「スペクター」を歌うが、最終選考でサム・スミスに敗れた[8]

2016年に9thアルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』が発表されたが、上記の「Lift」は収録されなかった。

2019年には、ロックの殿堂入りを果たした[9]
彼らの音楽的な影響

レディオヘッドのメンバーは、ジョイ・ディヴィジョンマガジンスージー・アンド・ザ・バンシーズ[10] [11] [12]U2といったポストパンクや、ピクシーズR.E.M.ソニック・ユースといったオルタナティヴ・ロックに早くから影響を受けてきた。また、トムは小学生の頃にはクイーンなどを好み、エルヴィス・コステロなども聴いていた。[13][14][15]1990年代半ばにはマッシヴ・アタックDJシャドウなどのエレクトロヒップホップからの影響をうかがわせ、それらは『OK コンピューター』に顕著である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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