レツゴー三匹
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芸名を「丸井正太」と改めた[13]1965年に新一が劇団員を率いて集団脱退し、軽演劇一座「ルーキー爆笑劇団」を立ち上げた際、正児は帯同の意思を示さなかったが、「トバッチリ[13]」で吉本から解雇されたために、後を追って加入した。同劇団解散後[5]、座員で「レツゴー三匹」を結成。タイヘイ洋児の「児」をもらい、芸名をレツゴー正児とした[13]。レツゴー三匹としての活動が休止状態になるに従い、俳優、講演活動、吾妻ひな子の「おんな放談」を模した「おとこ放談」と称する河内音頭を織り交ぜた漫談[14]などで活動していたが、2014年6月に認知症の診断を受けたことが、ホームページ上で妻より明らかにされた[4]。これ以降は介護付き老人ホームへ入居し、仕事を控え療養に専念していたが、2020年9月29日17時48分、肺炎のため大阪市内の病院で死去[15]。80歳没。

レツゴー じゅん(1945年7月2日 - 2014年5月8日[16]
大阪府堺市出身[1]。本名:渡辺 美二(わたなべ よしじ)[17]ボケ担当、立ち位置は向かって左[2]。晩年は逢坂 じゅん(おうさか じゅん)を名乗った[17]上宮高等学校在学中の1961年エキストラテレビドラマに出演した。このころ横山やすしとも親交があったという。高校卒業後、新聞に掲載されていた吉本新喜劇の研究生募集の広告を見て入団し、花紀京の付き人になる[18]坂田利夫らと同期)。1964年11月に初舞台[1]。当時の芸名は渡 淳[13](わたり じゅん、命名は前田五郎)。翌年ルーキー新一に帯同し、「ルーキー爆笑劇団」に移籍[3]。座員だった正児、一修とレツゴー三匹を結成した。1970年ごろ、藤山寛美の「アホばかりを集めよう」という声に呼応し、坂田利夫・西川きよし月亭八方と共に「内山田洋とクール・ファイブ」のパロディ「フール・ファイブ」を結成[18]。活動内容は5人集まって飲み歩くというものだった。レツゴー三匹としての活動が休止状態になるに従い、ピンのテレビタレント、舞台俳優として活動。1991年脚本家の逢坂勉(おうさか べん、本名:山像 信夫、野川由美子の夫)門下に入り、「逢坂じゅん」の名を用いるようになった[1][17]。2014年5月8日17時29分、脳出血のため大阪市内の病院で死去[16][17][18]。68歳没。戒名は「求芸院釋一道」(くげいいんしゃくいちどう)。MC企画所属の俳優・渡辺知晃は三男。

レツゴー 長作(レツゴー ちょうさく、1943年9月29日[19] - 2018年2月1日
岡山県都窪郡妹尾町(現:岡山市南区)出身[19][20]。本名:永原 誠(ながはら まこと)[19]。フリ担当、立ち位置は向かって右[2]。両親は岡山を本拠とする旅回りの劇団の俳優だった[13]。自身も俳優を目指し、妹尾町立妹尾中学校卒業[要出典]後の1964年[20]に父親の友人の紹介[13]松竹新喜劇2代目渋谷天外に入門し、入団。同年道頓堀中座で初舞台。この間天外邸に2年間住み込んで芝居の修行をするかたわら、初代真山一郎のもとで歌謡曲を学んだ。1966年ごろ[13]松竹新喜劇を離れ、タイヘイ洋児の門下[5]ピンアップトリオに加入したのち、あひる艦隊(第3次)に参加。あひる艦隊解散の当日[5]に正児とじゅんに誘われ、レツゴー三匹に加入。人 長作(じん ちょうさく)という歌手としての別名を持っていた。レツゴー三匹としての活動が休止状態になるに従い、俳優としてテレビドラマや松竹新喜劇に出演したり、寄席において「難儀節」「長作のかわら版」と題する、津軽三味線を取り入れたボヤキ漫談を披露したりしていた。2016年3月末から進行性のがんで入院し、2017年12月からは緩和ケアを開始。2018年2月1日20時35分、肺がんのため大阪市内の病院で死去[21]。74歳没。2016年3月27日の大阪府道頓堀角座でのステージが最後の仕事となった[22]
元メンバー

レツゴー 一修(レツゴー いっしゅう、
1940年 - 1990年2月11日
本名:森 一修(もり いっしゅう)[13]。「ルーキー爆笑劇団」に在籍していた[3]。結成直後の1年間在籍。後に黒木雪夫の名ですっとんトリオに参加。
芸風・ギャグ

舞台を広く使って走り回るなど、体を張ったどつき漫才。主に正児のツッコミとじゅんのボケによる掛け合いであり、長作は両者をまとめてツッコんだり我関せずとばかりに2人を傍観する様子で笑わせたりするなど、ネタの流れを転換するきっかけ(フリ)を担っていた
[13]

活動初期は正児曰く、消防車を演じる短躯の正児の両肩に消防士を演じるじゅんと長作がしがみつき「右へ行け!左へ行け!スピードを出せ!」などと無茶を言って正児を疲弊させるネタがあった[11]。晩年は年齢相応にどつきやアクションが減り、しゃべくり主体になっていた。

ツカミ(=冒頭)で「じゅんでーす」「長作でーす」と名乗っていき、最後に正児が「三波春夫でございます」と似てないものまねをしながら仰々しく自己紹介した所を、じゅんと長作の両方から頬をドツかれて正児のメガネがズレるというギャグがよく知られていた。あまりに似てないものまねのため1人だけ三波春夫のような着物を着て登場する事もあった[2][16][18]
元々じゅんのみが正児をドツく形だったが、長作がアドリブを利かせてタイミングを合わせながらドツいたところ大ウケしたため、以降定着したという[23]
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