レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
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(12回ノミネート)[10]主な略称は「RHCP」や「The Chili Peppers」、日本でのみ「レッチリ」など。2012年ロックの殿堂入り。2015年現在、オリジナル・アルバムを10枚、ベスト・アルバムを2枚発表している。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて13位[11]

代表曲として、「ギヴ・イット・アウェイ」、「アンダー・ザ・ブリッジ」、「アラウンド・ザ・ワールド」、「スカー・ティッシュ」、「カリフォルニケイション」、「バイ・ザ・ウェイ」、「キャント・ストップ」、「ダニー・カリフォルニア」などがある。
略歴

メンバーがそれまでに所属していたバンドには、チェイン・リアクションやアンセムなどがある。

1983年 - アンソニー・キーディスフリーヒレル・スロヴァクジャック・アイアンズによりバンド結成。

1984年 - Capitol/EMIと契約し、デビューアルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』をリリース。プロデューサーにギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルを迎えて作成されるが、この作品には、ヒレルとジャックは参加していない。

1985年 - ヒレルが復帰して、アルバム『フリーキー・スタイリー』をリリース。プロデューサーに、ジョージ・クリントンを迎えて作成された。

1987年 - アルバム『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』をリリース。前作で復帰したヒレルに続き、ジャックもバンド復帰して制作された作品で、最初で最後のオリジナルフルメンバーによるアルバムになった。このアルバムから、初めて日本盤が発売される。

1988年 - ヒレルが、ヘロインの摂取過多により死亡。これに伴い、ジャックもバンドから脱退してしまう。

1989年 - 新メンバーに、ジョン・フルシアンテチャド・スミスを迎え、アルバム『母乳』をリリース。このアルバムの裏ジャケットの絵画は、ヒレルが生前に描いたものである。初めてのチャートヒット作品となり、この頃から大会場規模でのツアーを行うようになる。

1991年 - Capitol/EMIからWarner Brothers Recordsに移籍し、アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』をリリース。全世界レベルでのブレイク作品となる。現在のプロデューサーであるリック・ルービンを迎えた作品。このアルバムに収録され、シングルカットされた「アンダー・ザ・ブリッジ」で、初の全米1位を獲得。また、同じくシングルカットされた「ギヴ・イット・アウェイ」は、グラミー賞のハードロック部門最優秀シングル賞を受賞している。

1992年 - 世界ツアーでの来日中、ジョンが突如帰国、脱退してしまう。

1995年 - ギタリストデイヴ・ナヴァロを迎え、アルバム『ワン・ホット・ミニット』をリリース。しかし、デイヴはこの作品のみで脱退してしまう。

1999年 - ジョン・フルシアンテが復帰し、アルバム『カリフォルニケイション』をリリース。「スカー・ティッシュ - Scar Tissue」で、2度目のグラミー賞を受賞。驚異的なセールスを記録し、現在までの最大のヒット作となる。

2002年 - アルバム『バイ・ザ・ウェイ』をリリース。チャドが「very John」と表現したように[12]、ジョン色が全面に押し出されたアルバムとなった。アルバムチャートでは、ついにイギリスで1位を獲得した。

2006年 - アルバム『ステイディアム・アーケイディアム』をリリース。初のアメリカアルバムチャート1位をはじめとして、全世界24ヶ国で1位を獲得。日本のアルバムチャートでも、2枚組の洋楽アルバムとしては、史上初の初登場1位を獲得した。先行シングルとなった「Dani California」が、同年に日本で公開された『デスノート』の主題歌として採用。同アルバム収録の「Snow ((Hey Oh))」も『デスノート the Last name』の主題歌に採用された。また、このアルバムで3度目のグラミー賞を受賞している。

2006年 - 7月28日に、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』に出演。日本のテレビ番組で、生出演や演奏はデビュー23年目で初めて。

2007年 - 3月19日京セラドーム大阪、3月22日・23日の東京ドームの公演は、いずれもアンソニーが「急性肺炎、10日間の絶対安静」との医師の所見のため、3月17日の来日直前になって急遽延期された。

2009年 - ジョン・フルシアンテがソロキャリアで自分の志向を突き詰めたいとして脱退。2007年から2年間のレッド・ホット・チリ・ペッパーズの活動休止がきっかけであった[13]

2011年 - 新ギタリストとしてジョシュ・クリングホッファーが加入し、アルバム『アイム・ウィズ・ユー』を前作から5年ぶりにリリース。リリース間隔として5年のブランクは結成以来最長である。

2012年 - ロックの殿堂入り[14]

2016年 - プロデューサーとして5thアルバムからアイム・ウィズ・ユーまで長年起用してきたリック・ルービンの手を離れ、新たにナールズ・バークレイブロークン・ベルズのデンジャー・マウス(ブライアン・バートン)を迎え制作されたアルバム『ザ・ゲッタウェイ』を、前作から再び5年ぶりにリリース。

2019年 - 12月、ジョシュ・クリングホッファーの脱退とジョン・フルシアンテの再々加入が発表される。

2022年 - 2月、プロデューサーに再びリック・ルービンを迎えて制作されたアルバム『アンリミテッド・ラヴ』を、4月1日にリリースすることが発表された。前作から6年ぶりのリリースとなる。これに先立ち、新曲『Black Summer』が公開された。ジョンは本作が『ステイディアム・アーケイディアム』以来、16年ぶりの復帰作となった。10月にもアルバム『リターン・オブ・ザ・ドリーム・カンティーン』を発表し、類を見ない短いスパンでのアルバム発表となった。
彼らの音楽的な影響

チリ・ペッパーズの面々が少年期に大きく影響を受けたのは、キッスレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスなどのハードロックや、セックス・ピストルズザ・クラッシュギャング・オブ・フォーラモーンズザ・ストゥージズなどのパンク・ロックである(ヒレルとジャック、フリーの3人は、高校時代これらのカバーバンドをやっていた)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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