レッドウッド国立公園
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公園に見られる希少な生態系と文化的歴史が認められた結果、国際連合は1980年9月5日に世界遺産に指定された。1983年6月30日にはユネスコ生物圏保護区である「カリフォルニア沿岸山脈国際生物圏保護区」(the California Coast Ranges International Biosphere Reserve)の一部に指定したが[6][7][8]、2017年に同国の多くの生物圏保護区と共に登録解除となった[9]
歴史復元された、アメリカ原住民のひとつユロック族が作った板張小屋(レッドウッドの厚板を使う)

ユロック族、トロワ族、カロク族、チルラ族、ウィヨット族などの現代のアメリカ原住民のグループはすべてこの地域と歴史的なつながりを持っており、いくつかのアメリカ原住民のグループは現在もこの公園エリア内に住んでいる。考古学的研究によると、彼らがこの地域に到着したのは3,000年前にもさかのぼる。1852年の国勢調査では、ユロック族が最も多く、55の村と推定人口が2,500人であったことが判明している[10]。 彼らは、豊富にあるレッドウッドが真っ直ぐな木目をしているので、厚板を簡単に拵え、船や家、小さな村の建築材料として使用していた。建物では、狭い溝の中に板を並べて建て、上部を革製の紐で縛り、屋根の梁に切り込みを入れて固定していた[11]。レッドウッドの板は緩い傾斜の屋根を作るために使用されていた[12]。1860年代まで、チリュラ族はレッドウッド・クリーク渓谷の中流域でレッドウッドの木々と密接に共存していた[13]。ハルドヒルズのレッドウッド・クリーク沿いからカリフォルニア州マイナー・クリークに至る地域で主に定住していたチリュラ族の2つの村跡(ハウナクートとノイエディング)は、現代の公園の境界内に位置している[14]

先住民族とレッドウッドのつながりは、単なる物理的な関係だけではない。研究者のゲイル・L・ジェンナーは、「レッドウッドは彼らの物質的な文化の多くの源であったが、彼らの生活は単なる木材以上のものであったし、今もそうである。彼らの生活は、まさに木の持つ特性と構造物に囲まれていたのである。」と述べた。1976年にチルラ部族の長老で宗教指導者でもあるミニー・リーブスは、チルラ族は「レッドウッドの木の中の人々」であると指摘した[15]。リーブズがさらに述べたところによれば、木は愛の証として創造主からの贈り物であるということ、つまり、「これらの木々を破壊すれば、創造主の愛を破壊することになる。そして、もし創造主が愛しているものを破壊すれば、最終的には人類を滅ぼすことになる」と指摘した[13]。ユロック民族にとって、木は神聖な生き物であり、「神聖な場所の上に『守護者』として立っている」のである。先住民の人々は、レッドウッドの木で作られた伝統的な家も「生き物」と考えている。それというのは、エドウィン・C・ベアースによると、「その板を形成しているレッドウッドは、それ自体が精霊を宿すうちの一つの実体であった」という。彼の言葉を借りれば、「レッドウッドという地域に人間よりも先に存在し、そこでの正しい生き方を人々に教えた神の種族」[15]であると考えられていた。

1828年のジェデダイア・スミスによる探検以前には、ヨーロッパ系の探検家の中で、沿岸から離れた内陸部を徹底的に調査した人は誰もいなかった。1850年にトリニティ・リバー沿いで金が発見されたことで、カリフォルニアでは小規模な第二次ゴールド・ラッシュが起こった。これにより、この地域に鉱夫が集まり、多くの鉱夫は金持ちになり損ねた後も沿岸地方に残った。これはすぐさま紛争を引き起こし、この地域にいた原住民は、強制的に追い出されたり虐殺されたりしない限り、大きな負担を強いられることになった[16]。1895年までには、村々の内のある1グループのユロック族の3分の1しか残っていなかった。また、1919年までには事実上、チルラ族のメンバーは全員死亡するか、他の部族に同化されていた[17]。鉱夫たちは建築用にレッドウッドを伐採したが、この小規模なゴールドラッシュが終わると、一部の鉱夫たちは再び伐採に転じ、巨大なレッドウッドの木々を伐採した。当初、カリフォルニア州とオレゴン州南西海岸地方の2,000,000エーカー(8,100平方キロメートル)以上がレッドウッドの原生林であったが、1910年までに大規模な伐採が行われたため、自然保護活動家や懸念する市民は、驚くべき速さで伐採されているのを目の当たりにして、残っている樹木を保護する方法を模索し始めた[18]。1911年には、カリフォルニア州の下院議員ジョン・E・レイカーが、レッドウッド国立公園を創設するための法案を提出した最初の政治家となった。しかし、その時点では合衆国議会はそれ以上の行動を取らなかった。コースト・レッドウッド[19]とも呼ばれるカリフォルニアのレッドウッドは、地上で最も高くなる樹種。

カリフォルニア州のレッドウッドを保護しようとする動きは、ブーン&クロケットクラブの最も実質的な保護貢献の一つと考えられている。セーブ・ザ・レッドウッド・リーグは1918年にブーン・アンド・クロケット・クラブのメンバーであるマディソン・グラント、ジョン・C・メリアム、ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン、そして後のメンバーであるフレデリック・ラッセル・バーナムによって設立された。最初に土地を購入したのは、クラブメンバーのスティーブン・メイザーとウィリアム・ケントであった。1921年、ブーン・アンド・クロケット・クラブのメンバーであるジョン・C・フィリップスは土地を購入して、ハンボルト・レッドウッド州立公園内にレイナル・ボリング記念林を作るために32,000ドルを寄付した[20]。これは、間もなくレッドウッドの木へのアクセスがほぼ自由となる合衆国国道第101号が建設中であったため、時期を得たものであった。最初はハンボルト郡から、後にカリフォルニア州から提供された同額の資金を使って、セーブ・ザ・レッドウッド・リーグは1920年代にレッドウッドの林が集中したり複数ある地域、および少数の森林全体を保護することに成功した。カリフォルニア州が州立公園制度を創設した1927年から、保護されたレッドウッド地域のうち3つがそれぞれ、プレーリー・クリーク・レッドウッド、デルノルト・コースト・レッドウッド、ジェデダイア・スミス・レッドウッド州立公園となった。4つ目はハンボルト・レッドウッド州立公園となり、個々のレッドウッド州立公園の中では最大のものとなったが、レッドウッド国立公園州立公園システムには含まれていない。第二次世界大戦中の木材需要の高まりと1950年代の建設ラッシュのため、国立公園の指定が遅れた。セーブ・ザ・レッドウッズ・リーグ(Save the Redwoods League)、シエラクラブ(Sierra Club)、ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ(National Geographic Society)による国立公園の創設に向けた取り組みは1960年代初頭に始まった[21]。合衆国議会への激しいロビー活動の後、レッドウッド国立公園創設法案は1968年10月2日にリンドン・ジョンソン大統領によって署名された。セーブ・ザ・レッドウッズ・リーグ(Save the Redwoods League)やその他の団体が10万エーカー(400平方キロメートル)以上の土地を購入し、既存の州立公園に加えられた。地元の環境保護主義者の支持と地元の伐採者や伐採会社の反対の両方がある中、1978年にレッドウッド国立公園の大規模な拡張が行われ、48,000エーカー(190平方キロメートル)が追加された[21]。 しかし、その土地のうちで原生林は5分の1に過ぎず、残りは伐採されていた。この拡大によって、レッドウッド・クリークに沿った流域は、公園外での伐採作業による悪影響を受けないように保護された。これらの連邦公園と州立公園は、1994年に管理上統合された[22]

1980年9月5日、国際連合はレッドウッド国立州立公園を世界遺産に指定した。評価委員会は、4,500年に及ぶ50の先史時代の考古学的遺跡を指摘した。委員会はまた、フンボルト州立大学の研究者などによる公園内での現在進行中の研究についても言及している[23]。この公園は、1983年6月30日にサンフランシスコ・ベイエリアにあるカリフォルニア・コースト・レーンジズ国際生物圏保護区に指定された、より大きな地域の一部となっている[8][24]。 このカリフォルニア・コースト・レーンジズ生物圏は、カリフォルニア大学自然保護システムによって管理されている。



公園の運営レッドウッド国立州立公園の地図(クリックで拡大表示)

レッドウッド国立公園の本部はカリフォルニア州クレセントシティにあり、そのサービスオフィスはカリフォルニア州アルカタに、オペレーションセンターはカリフォルニア州オリックにある。

しかし、資金不足のために大規模な改善を実施することができず、材木会社は伐採された多くの地域に自生種以外の種類の木を植林した。砂丘や沿岸の草原を含む沿岸地域一帯は、1980年代まで森林火災を抑制しようとしたことも一因で、外来種に侵されてきた。現在、防災計画では、公園を本来の状態に戻すための一つの方法として、管理された野焼きが許可されている。レッドウッドの伐採は入山がし易いかどうかに基づいて行われてきたので、近寄ることができない場所は最後に伐採されるため、原生林の巨木の多くは互いに切り離されることになって、時には何マイルも離れた場所にあることがある。このような事情があるので、生態系の修復にいくらお金をかけようとしても、原生林(極相林)の状態に戻るまでには何十年もかかると考えられる[25]

公園では、伐採して拵えたいくつかの道路を風光明媚な公道に造り変えた。これらの道路は現在の安全基準を満たしていないが、現在のところこれを改善するための資金が無い。ビジターセンターや職員用住宅などの公園内の構造物も、増加する需要に対応するための更改が必要となっている。公園の従業員は、大気と水質の調査、絶滅危惧種や絶滅危険種とされるものの監視を行い、米国土地管理局(Bureau of Land Management)による管理の元に置かれているカリフォルニア州沿岸国立モニュメント(California Coastal National Monument)と密接に協力関係にある[26]


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