1227年11月24日、レシェク1世はゴンサヴァで開催された諸公会議に出席した時に暗殺(英語版)された。暗殺を命じたのは東ポモジェのグダニスク公シフィエントペウク2世だったと思われ、シフィエントペウク2世の義弟でミェシュコ3世の孫であるヴィエルコポルスカ公ヴワディスワフ・オドニツが裏で糸を引いていたとされる。この事件はレシェク1世がシフィエントペウク2世に自らの権威に服するよう求めたことが原因だったと言われている。
有名な逸話に、レシェク1世が教皇に対し、パレスチナには蜂蜜酒もビールも無いのでポーランドの騎士達は十字軍には加われない、と十字軍参加の申し出を断ったというものがある。
子女(1258年没)と結婚した。この結婚はポーランドの東方拡張政策の一環でもあった。夫妻はあいだに1男1女をもうけた。
サロメア(1211/1212年 - 1268年) - アンドラーシュ2世の息子カールマーンと結婚、福者
ボレスワフ5世(1226年 - 1279年)
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