その後、レゴブロックが広く知れ渡るにつれ、似たアイデアのものや、寸法まで同一の商品が1960年代を中心に日本市場にも出回った。このうち特に有名なものは河田のダイヤブロックと任天堂のN&Bブロックである。ダイヤブロックは「複数の突起を持った表側とこれをはめ込む裏側のある直方体形状」という構造は似ているが、規格寸法は異なる。N&Bブロックは、基本となる直方体の形状と寸法がレゴブロックと寸分たがわず、訴訟にもなった。
レゴブロック自体の知名度と比例するように、欧州に存在するLEGOブロックテーマパークレゴランドの日本進出を期待する声が高まったが、まずレゴランド誘致都市として名乗りを上げた千葉県千葉市は、諸般の事情により2003年に誘致を断念した。それから約10年間が経過した2014年に愛知県名古屋市港区に立地する金城ふ頭に日本初のレゴランドとなる「レゴランド・ジャパン」を進出するとの決定が、デンマークのLEGO本社から発表された。2015年には名古屋市内で着工式典が行われ、2017年4月1日にオープンした。
1969年 - 知育玩具輸入販売会社「不二商」がレゴブロックの販売を担当[11]。
1978年 - レゴ社は現地法人「日本レゴ株式会社」を設立し直接輸入販売を開始[12]。
1989年 - 「日本レゴ株式会社」から「レゴジャパン株式会社」へと組織変更[13]。
1990年代 - 千葉県千葉市の幕張地区にレゴランドを誘致する計画が浮上した。しかし日本のバブル崩壊の影響などもあって最終的に計画は断念された。
1991年 - レゴ社とナムコが提携し、プライズマシン用のレゴブロックのミニセットを製造。車の他、お城や海賊のセットなどがラインナップされた(ナムコの季刊無料雑誌『ノワーズ』第3号および第7号)。
1998年 - レゴお城シリーズに「忍者」テーマが登場。以後3年ほど継続された。内容的には「外国から見た日本趣味」的な色が濃いものの、服装や小物などの造形は比較的正確なものといえた。カバヤ食品が、レゴブロックのミニセットとガムをパッケージにした玩具菓子の販売を始める。テーマはお城、テクニック、バイオニクルなど多岐に渡った。天皇・皇后(いずれも当時)がレゴランドビルンを訪問。
1999年 - 1990年代末より、レゴブロックをサブカルチャー的なアイテムとしてとらえる動きが多くなる。渋谷パルコにて「レゴ・マニアックス展」が開催されたのに続いて、翌2000年にも「レゴ・デラックス展」が開催されている。また、同年より「スター・ウォーズシリーズ」が発売されたことで、従来あまりレゴブロックに縁がなかったファン層の獲得に成功した。
2000年 - 前年の松屋銀座における小規模な展覧会「建築家とレゴ展」を踏み台に青山スパイラルで「レゴと建築展」が開催された。日本初のレゴ専門店「クリックブリック」の展開が始まった。
2002年 - コカ・コーラ社のプロモーションとして、「サッカー」テーマのミニセットが飲料のオマケに付いていた。コカ・コーラ社からは、これ以外にも「スタジオ」シリーズのプロモーションセットがリリースされた。
2003年 - 渋谷パルコにて「レゴで作った世界遺産展」が開催された。これは全国各地を巡回したあと、さらに新作を加えて2008年にも同所で開催された。
2004年 - 栃木県那須郡那須町にある遊園地「那須ハイランドパーク」で、「レゴ博」が開催された。これを契機として、2006年より常設展示の「レゴスタジアム」がオープン。東京タワーや渋谷・浅草などの日本の風景を総数約150万個のレゴブロックで再現している。レゴモデルビルダーの仕事場を忠実に再現した「レゴビルダー工房」や、限定商品や新製品を扱うショッピングエリア、自由に遊べるプレイエリア「ふあふあ&プレイエリア」なども設置されている。
2005年 - テレビ東京系の番組「TVチャンピオン」にて、レゴブロックをテーマにした対決が放映された。これは2008年の第3回まで続き、2010年と2011年には復活特番として開催されている。第2回では決勝をデンマークのレゴランドにまで遠征して行った。なお、第2回まではレゴという商標は表立っては使用されず、「ブロック玩具王選手権」として放映された。
2006年 - 人型ロボットを製品ラインの主役に据えた「エクソ・フォース」テーマの展開が始まった。